頂点から解散へ (1982年 - 1989年)
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デビュー・アルバム『ドーン・パトロール』や、2ndアルバム『ミッドナイト・マッドネス』(1983年)の軽快でキャッチーなハードロック・ナンバーが、当時のLAメタル(グラム・メタル)ムーブメントにもマッチし、多くの支持を得る。1983年には初来日公演を開催。 母国では、シングルカットした「シスター・クリスチャン」(1983年)や「センチメンタル・ストリート」(1985年)といったバラード曲の大ヒットを飛ばすが、逆に「バラード・バンド」という認識が強まり過ぎてジレンマに陥ってしまう。 ジャック・ブレイズは1987年のインタビューで、レコード会社によるバラード主体のシングル・リリースに不満を表明し「世間一般のファンが僕達のことをソフトなバラード・バンドと思い込んでいるけど、それはとんでもない誤解だ」と語っている。予見した通り4thアルバム『ビッグ・ライフ』の頃からセールスが伸び悩む。 1988年、5thアルバム『マン・イン・モーション』をリリースするが、発表前にアラン・フィッツジェラルドが脱退。翌年にもジャック・ブレイズが脱退したことを受け、バンドも追い込まれるように活動停止に至った。
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