降格処分後の専門誌等
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「日本ボクシングコミッション事件」の記事における「降格処分後の専門誌等」の解説
『ボクシング・マガジン』2011年8月号は、JBCの決定にいたるまでの所感を次のように記し、「安河内氏は2006年に事務局長就任後、わずか5年間でさまざまな貢献を重ねた。[略]それらの業績を不名誉とともに、苦界に沈めるとしたら残念に過ぎる。」と書いている。 ボクシング界はとりあえずの平穏を取り戻した形だが、スキャンダルとともに深刻な対立を世間にまき散らしたJBC自体、一つのスポーツを取りしきる機関として、空白を作った責任は重い。信用回復のために早急に、そして全力を尽くしてもらいたい。(リード文より)こんな事件は 日本ボクシング史上でも前代未聞であり、きわめて後味も悪い。信じる、信じないは別として調査委員会の調査では、金銭的な疑惑は晴れているように、騒動の主なるところは安河内氏と事務局員、役員会の人間関係にあった。選手、ファン不在のままの対立、抗争を世間にさらす必要はあったのか。[略] その役員会の動きとはまったく別物ながら、内々で済ませられない事情を作ったのが、“告発文”というより怪文書と言っていい代物だったことも不愉快の素である。文書には安河内氏とJBC関西事務局に試用採用された女性との交際をにおわせる写真が同封され、その上で公的資金流用を暗示されている。『こんな悪いことをする人なんだ』と思わせておけば、あとはトリモチがベッタリの風車を回すように、虚実とり混ぜての疑惑と悪意が次々にとりついてくる。それこそスキャンダリズムの基本だが、いざ、ボクシング界に持ち込まれてみれば、気持ちがいいはずはない。最後に山田一公レフェリーの[略。上述の通り]が公になったのも、反発を強める役員会に対し、報復行為とファンにみなされたはず。なんと気持ちの悪い悪意の連鎖なのか。(本文より) — 宮崎正博、「大揺れJBC内紛が呼んだ波紋」 同日発売の『ボクシング・ビート』は次のことを明かしている。 それにしても、「安河内氏が残るのなら、我々は辞める」と主張したほど強硬だった試合役員会が、拍子抜けするほどあっさりとJBCの決定を受け入れたのはなぜか。関係者の話を総合すると、安河内氏が以前のような形ではJBCの業務にはタッチしないとの確約があったというのである。 — 「『JBC騒動』その顛末と教訓」 同誌はさらに、試合役員会としては「名実の、実のほうをとった」という審判員の声を紹介し、詳しい説明もないまま、7月1日の日本タイトルマッチで「コミッション席に[B4]事務局長と[B3]専務理事が座り、何ごともなかったように新体制がスタートした」ことを報告。「安河内氏の進めようとしていた改革路線をすべて否定するのではなく、良いものは踏襲するよう望みたい。[B4]事務局長の最大の仕事はバトンを渡す後任の事務局長をみつけること。」とした上で、関係者の間では「結局誰もいなくて、また安河内氏にお願いということになるのでは」と囁かれる状況であったと結んでいる。 『ボクシング・ビート』2014年8月号は3年経過後のB3体制について、「日本ボクシングコミッションは一時『亀田に甘い』と批判されることもあったが、当時と比べれば、格段に厳しい姿勢を維持している。以前は目立つことがなかった『専務理事(B3理事長)』が毅然として対応していることもあるだろう。」と評している。 5年が経過した2016年7月には、JBC関係者が「[B3]はこの[B11]の動きを差配できず、安河内氏が[B11]に追い落とされる中で、[B11]の提言にしか耳を貸さなくなっていった。その結果、[B3]—[B11]の強権的な体制が築かれ、結果、安河内氏はJBCを解雇されたのです。」と語り、相次ぐ批判にも省みることのないB3・B11ら執行部の運営について、業界の実力者として畏怖される帝拳ジム会長の本田明彦も、史上最悪だと吐き捨てたという。
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