関門鉄道トンネルの開通とは? わかりやすく解説

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関門鉄道トンネルの開通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:23 UTC 版)

門司の歴史」の記事における「関門鉄道トンネルの開通」の解説

1931年昭和6年)、門司港修築工事完成し大連航路天津航路開け門司港国際港として世界知られるようになった1か月200隻近い外航客船入港した満州事変以降大陸進出に伴い門司港貿易とともに軍需物資兵員輸送拠点となった明治時代から九州本州を結ぶ海底トンネル構想はあったが、1930年頃になると、貨物の量が激増し従来連絡船による貨物輸送では追いつかなくなったことから、海底トンネル検討本格化した。1935年昭和10年)に鉄道大臣内田信也視察訪れ弟子待・小森江ルート採用決まり1936年昭和11年)に関門鉄道トンネル着工1942年昭和17年7月貨物列車運行開始した1929年頃の門司駅(現門司港駅)。 門司港駅から関門連絡船乗り場に向かう地下道には、太平洋戦争中特別高等警察通行人監視する監視孔が作られた。 これに伴い1942年4月1日それまで門司駅門司港駅改称されそれまで大里駅400メートルほど南側移転して門司駅となった門司駅は、7月東京大阪京都に次ぐ特別一等駅に指定され戦後まで九州玄関口としてにぎわった一方門司港駅経由せずに下関駅門司駅がつながることとなり、門司港地区にとっては衰退予兆となる出来事でもあった。 1937年昭和12年8月には、壇ノ浦和布刈間で関門国道トンネル着工され1944年昭和19年)に貫通したが、戦時下資金難物資調達難により、事業中断された。

※この「関門鉄道トンネルの開通」の解説は、「門司の歴史」の解説の一部です。
「関門鉄道トンネルの開通」を含む「門司の歴史」の記事については、「門司の歴史」の概要を参照ください。

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