関連文献・作品
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「シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)」の記事における「関連文献・作品」の解説
クロード・ダルヴィ『シモーヌ・ヴェーユ -その劇的生涯-』稲葉延子訳、春秋社、1991年。 (著者の戯曲「シモーヌ・ヴェーユ1990-1943」の台本や、兄アンドレのインタビュー番組の採録、訳者による吉本隆明へのインタビュー、同時代評など) シルヴィ・クルティーヌ=ドゥナミ『シモーヌ・ヴェイユ 天上の根を求めて』庭田茂吉・落合芳訳、萌書房、2013年7月。 『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』水声社、2017年12月。アルベール・カミュほか全25名の作家論 フロランス・ド・リュシー『シモーヌ・ヴェイユ』神谷幹夫訳、白水社〈文庫クセジュ〉、2022年。 ジョルジュ・バタイユ『空の青み』伊東守男訳、河出文庫、2004年。 シモーヌ・ド・ボーヴォワール『娘時代-ある女の回想 (1)』 朝吹登水子訳、紀伊国屋書店、1961年。 (「『娘時代』にでてくるヴェーユとかバタイユの『空の青み』のなかに出てくるヴェーユとか....側のほうから関心がせばまってきて、それじゃあ読んでみようかいう気になった印象をもってます」吉本隆明) 澤田愛子『末期医療からみたいのち』、朱鷺書房、1996年。 (「私は以前から患者の様々な苦悩を見るにつけ、なぜ良い人々がこんなにも苦しまねばならないのか。また若い人の死や突然の死に遭遇して、なぜこんなに過酷なことが許されるのかと問い続けてきた。このような疑問にヴェイユの思想は真っ向から答えてくれるものであったのだ」) 笠井潔『サマー・アポカリプス』創元推理文庫、1996年(初出1981年『アポカリプス殺人事件』改題) (「ナチズムの力は、本質的には霊的な力だった。だからナチズムを倒すための闘いは、あくまで霊的な闘いである以外無かった。ワイマール国家でナチズムと真に対峙しえたのは、シュタイナーの人智学運動だけだった。… しかし霊的闘争においてシュタイナーたちの勢力は敗れ去った。… こうして戦争への道は掃き清められたのだ。しかし、ナチスのヨーロッパ征服戦の渦中で、ただ一人、正面からナチのオカルティズムに対抗した女性思想家が生まれた。シモーヌ・ヴェイユだ」p50) 最首悟『星子が居る』、世織書房、1997年、 (「『宇宙にたった一人しか居ないと仮定するならば、その人間はいかなる権利も有せず、ただ義務のみを有することとなろう。』というシモーヌ・ヴェイユの言葉が、あらためて新鮮に想起される。この〈義務〉をめぐって私はすいぶんとわからなかったのである。そして、この〈義務〉こそがあらゆる宗教の原点であることにたどりつくのにも時間がかかった」p73-74「少数者運動では多かれ少なかれ、権利によって何かができる、ということはない。権利主体という言葉が意味をなさないのです。そんなこといっても、権利主体や多数派は屁とも思ってくれない。私たちにもともとあるのは、天から降って来たような権利とかじゃなくて、すくなくとも生まれてきたからには生を全うするという、ほとんどそれだけのことです。そしてそれはほとんど義務ではないでしょうか。私たちはむしろ義務主体的ではないか。そしてたとえば私の子ども星子のような者がいて、当然ながら生についての義務主体で、しかし力を添えなくては生を全うするのに困難なことがあると親(他人)のこの私が思ったとたんに、そこに星子は権利客体として誕生するのだろうと思います。」p439)
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