関連事項の年譜
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1982年(昭和57年)エニックスが第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト(以下コンテスト)を開催。 鳥嶋和彦(当時『週刊少年ジャンプ』編集者)が堀井雄二にコンテストの取材を依頼。 1983年(昭和58年)1月、『森田のバトルフィールド』(森田和郎)・『ドアドア』(中村光一)・『ラブマッチテニス』(堀井雄二)などがコンテストに入賞。 2月、エニックスがパソコン(以下PC)ソフト『ドアドア』を発売。 7月、任天堂がファミリーコンピュータ(以下FC)を発売。 エニックスがPCソフト『ポートピア連続殺人事件』(堀井が製作)を発売。 中村が香川県立丸亀高校を卒業、国立電気通信大学に入学。 中村が株式会社チュンソフトを設立。 1984年(昭和59年)4月、中村が株式会社チュンソフトを設立。 5月、エニックスがPCソフト『ニュートロン』(中村が製作)を発売。 エニックスがPCソフト『Dr.スランプ バブル大作戦』(鳥山明が原作)を発売。 鳥山が漫画『Dr.スランプ』の連載を終了、漫画『ドラゴンボール』の連載を開始。 1985年(昭和60年)2月、エニックスがPCソフト『ドアドアmk-II』(中村が製作)を発売。 7月、エニックスがFCソフト『ドアドア』を発売。 9月、任天堂がFCソフト『スーパーマリオブラザーズ』を発売。 11月、エニックスがFCソフト『ポートピア連続殺人事件』を発売。 エニックスがPCソフト『森田和郎の将棋』を発売。 すぎやまこういちの書いた『森田和郎の将棋』アンケートはがきがエニックス千田幸信の目に留まる。 12月、エニックスの企画会議に堀井・中村・鳥山が参加し、FC用RPGソフトの開発を決定。後日、堀井により「ドラゴンクエスト」と命名。 以下『ドラゴンクエスト』およびエニックスに関する項目 1986年(昭和61年)1月末、発売日を2月から5月に延期。 鳥山がモンスターのデザインを完了。 すぎやまが、PCソフト『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』の作曲に続き、『ドラゴンクエスト』のゲーム音楽8曲を2週間もしくは1週間で作曲。 2月末、試作版が完成し、ゲームバランスの調整作業を開始。 春、納期を1週間遅らせ、不眠不休の作業により内容を大幅変更。 デバッグ作業。 PCソフト『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』(すぎやまが作曲)を発売。 5月27日、FCソフト『ドラゴンクエスト』を発売。 1987年(昭和62年)1月、FCソフト『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』を発売。 1988年(昭和63年)2月、FCソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』を発売。 8月、書籍『ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック』を発売。 9月、書籍『ドラゴンクエスト 公式ガイドブック』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々 公式ガイドブック』を発売。 1990年(平成2年)2月、FCソフト『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』を発売、同月に本作『マンガ ドラゴンクエストへの道』を発行。 4月、漫画『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』を発売。 1991年(平成3年)3月、雑誌『月刊少年ガンガン』を創刊。 9月、本作『ドラゴンクエストへの道』〈ガンガンコミックス〉を再発行。
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