ゲーム・ホビープログラムコンテスト
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「エニックス」の記事における「ゲーム・ホビープログラムコンテスト」の解説
1982年に第1回を開催(同年12月20日締め切り)。賞金総額300万円(最優秀賞100万円)というのが最大の売りであり(当時の同様のコンテストは賞金は30万前後が普通)、後のゲーム界を担う人材を発掘した。300本近くの応募作の中から、13本がパソコンソフトとして実際に販売された。天才マイコン少年として一部で知られていた中村光一をスターダムに押し上げ、堀井雄二との出会いのきっかけとなったことから、『ドラゴンクエスト』シリーズ開発史の最初の舞台として描かれることが多い。なお堀井はコンテストの紹介記事を「週刊少年ジャンプ」に執筆したライターという立場であったにもかかわらず、プログラミングを独学して勝手に応募してきたという。 最優秀プログラム賞「森田のバトルフィールド/森田和郎」 優秀プログラム賞「ドアドア/中村光一」 優秀プログラム賞「マリちゃん危機一髪/槇村ただし(後のどろんぱ)」 入選プログラム賞(以下順不同)「宇宙の戦士/岡田良行」 「D・I・Sエアポート/藤原誠司」 「星子のアドベンチャー/浅沼利行」 「地底のモンスター/長谷川修」 「ポーカーエキストラ/川口真弘」 「ナポレオン/島田弘明」 「ピラニア君の一週間/白井篤」 「暴走オリエント急行/長瀬敏之」 「ラブマッチテニス/堀井雄二」 「バクテリアエスケープ/橋下友茂」
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