開学後の不祥事と民事再生(2004年~2008年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:04 UTC 版)
「東北文化学園大学」の記事における「開学後の不祥事と民事再生(2004年~2008年)」の解説
1997年に文部科学省に四年制大学の開学認可申請を行った際、提出された開学資金のうち寄附金50億円超は実体のないものであった。その結果、開学後早々に自己資金確保に行き詰まり、当時の理事長の堀田正一郎は二重帳簿等による不正経理処理を指示することになった。2003年にその事実の一部が発覚すると、主力銀行等からの運転資金の借り入れができなくなり、298億円の負債を抱えるなか、2004年6月21日に民事再生法を申請するに至った。2004年12月22日に再生計画の認可が決定し、2005年1月27日に再生計画の認可決定の確定を受け、再生計画が進められることになった。 また、文部省(当時)への大学設立認可の申請や私学助成金受給は、1978年清水一行「虚構大学」を参考に行われていたことがわかっている(ちなみに「虚構大学」は京都産業大学の開学をめぐる関係者の話がモデルになっている)。 仙台市は1997年から大学整備促進補助金交付制度を設けていたが、東北文化学園大による補助金不正受給事件を踏まえ、2004年12月に廃止。交付総額は11億5700万円で、東北文化学園大学には9億400万円を交付していたが本大学の経営難により補助金債権の95%の約8億6000万円を放棄した。 郡山市に薬学部(6年制)、廃校になった久慈市のアレン国際短期大学跡地に福祉介護系の新学部を新設する計画があった。また公立黒川病院の買収計画も断念した。当時の仙台市副市長、郡山市副市長は東北文化学園大学の不正を見抜けずに補助金を騙し取られ損害を発生させた責任を取り辞任した。 その後、大阪の藍野グループが経営支援を申し出て、代表の小山昭夫が新たな理事長につくことになった。ところが、小山は、2005~2006年度に、理事会を開くことなく、大学の運営資金から計7億8千万円を自身の個人病院などに融資し、2008年1月に国からの補助金を全額不交付とする処分を受けることになった。さらに、2007年11月には、大学の運営資金2億円を樟蔭東学園の人事権掌握のために流用した。さらには、2億5000万円を大学の備品などの購入名目で送金させながら、リースで調達するなどの工作も行っていた。 これらの問題が発覚すると、理事長と全理事(学則上の理事を除く)が退任し、新理事長には弁護士が就いた。そして2008年1月28日、再生計画の認可決定の確定後3年の経過によって、東京地方裁判所の決定により民事再生手続が終結した。ただし、2010年度に実施された日本高等教育評価機構による第三者機関大学評価では、依然として、「教員」、「管理運営」、「財務」が評価基準を満たしていないと判定された。
※この「開学後の不祥事と民事再生(2004年~2008年)」の解説は、「東北文化学園大学」の解説の一部です。
「開学後の不祥事と民事再生(2004年~2008年)」を含む「東北文化学園大学」の記事については、「東北文化学園大学」の概要を参照ください。
- 開学後の不祥事と民事再生のページへのリンク