長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「長崎本線特急「かもめ・みどり」脱線事故」の解説
1981年(昭和56年)6月7日13時53分ごろ【列車脱線事故】 長崎本線久保田 - 牛津間を走行中の博多発長崎・佐世保行き特急2021M列車「かもめ・みどり11号」(485系電車12両編成)が、柳掘橋梁(長さ7.3m)付近の左側半径800 mのカーブを約時速90km/hで走行中、左側レールが2箇所、横波状に曲がっているのを運転士が発見し非常ブレーキをかけ300m走ったところで停車したが後ろ寄りの6両(「かもめ」後ろ2両と「みどり」全編成)が脱線した。負傷者23名。原因は、暑さ(当日は佐賀県で32.3度の最高気温を観測していた)でレールが伸びたことと、同橋梁で使用していた橋梁構体と枕木を固定するボルトが粗悪品で折損したため。同橋梁では全部で18本あった枕木の締め付け部に平均2cmの隙間が開いており、該当列車が通過前、暑さでレールが伸びた際に枕木が左右にずれ、同列車が高速で侵入した際ボルトが折損し後部車両が脱線大破した。このボルトは溶接箇所が断面積の20%しか溶接されていない粗悪品で、1973年には国鉄本社で使用中止にし、以降枕木交換の際に継ぎ目のない一体成型品に交換していたが、同橋梁では1978年に枕木を交換した際に、なぜか右側のみ交換され、左側は古いものがそのまま使用されていた。 この頃暑さにより同様の事例が多発していたことから、塩川正十郎運輸大臣が高木文雄国鉄総裁(いずれも当時)に注意を行い全国で緊急に線路状況点検が行われた。 脱線した車両のうち特に損傷の激しかった「みどり」編成後部に組成されていたモハ485-117・モハ484-221・クロ481-53の3両が廃車となった。同系列が国鉄時代に事故廃車された唯一の事例である。
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