金銅弥勒菩薩半跏像
主名称: | 金銅弥勒菩薩半跏像 |
指定番号: | 1183 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1921.08.08(大正10.08.08) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | 台座銘文ニ丙寅年四月大旧八日癸卯開記云々トアリ |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 飛鳥 |
年代: | 666 |
検索年代: | |
解説文: | 飛鳥時代の作品。 |
金銅弥勒菩薩半跏像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:15 UTC 版)
1918年(大正7年)に寺内の蔵から発見された像。毎月18日に開帳される。像高18.5cm。頭部が大きく、腰を絞ったプロポーションは、飛鳥時代から奈良時代の金銅仏によく見られるものである。頭部には大ぶりの三面頭飾を付け、裳や台座などの各所にはタガネで文様を刻んだ入念な作である。左脚を踏み下げ、右手を頬に当てて思惟の想を示すポーズはこの種半跏思惟像の通例であるが、右手の掌を正面に向ける点が珍しい。表情からは飛鳥時代の仏像にみられた「古拙の微笑」が消えている。 本像台座の框(かまち)部分には「丙寅年四月大旧八日癸卯開記 栢寺智識之等詣中宮天皇大御身労坐之時 請願之奉弥勒御像也 友等人数一百十八 是依六道四生人等此教可相之也」(以上の読みには異説もある)という銘文が1行2字・31行(62字)に陰刻され、本像が丙寅年の四月に「中宮天皇」が病気になったとき「栢寺」の知識(信徒)らが平癒を請願して奉った弥勒菩薩像であることが分かる。丙寅年は西暦666年に当たる。この種の半跏思惟像は像名不明のものが多いが、本像は銘文中に「弥勒」と明記されており、制作年代の明らかな弥勒像の基準作として重要である。銘文にある「中宮天皇」については「天智天皇説」「斉明天皇説」「間人皇后説」などがあるが、定説をみない。「栢寺」についてもどの寺院に該当するかは定説がなく、「栢」の旁は「百」とは字形が違うという見解もある。 丙寅年の4月8日が癸卯にあたるのは西暦666年(天智天皇5年)であることから、銘文にある丙寅年を666年とすることは定説となっている。「丙寅年四月大旧八日癸卯開記」の「大旧」と「開」の意味については、1918年(本像発見の年)に発表された木崎愛吉の所説が通説となっている。それによると、「開」は暦用語の「十二直」の1つの「開」で、開店、棟上げなどに良い日とされている。「旧」は唐で新しく制定された麟徳暦(儀鳳暦)に対する旧暦(元嘉暦)の意に解し、この年の4月が新暦(麟徳暦)では「小の月」、旧暦(元嘉暦)では「大の月」にあたることから「大旧」と記したという。ただし、この「旧」字については偏が「さんずい」、旁が「自」で「いたる」と訓ずる文字だとする新説もある。
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