都心回帰の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 11:52 UTC 版)
当初、郊外型キャンパスは欧米の大学町のイメージもあいまって「空気が綺麗」「キャンパスが広い」「自然が多い」と受験生に評判がよく、文化講座などによってその地域へ大学の知を還元することができるとマスメディアでも大変に評判が高かった。また、鉄道会社にとっても都心への通勤ラッシュとは逆の郊外への朝の大量通学輸送が期待できるメリットがあった。 しかしバブル経済が崩壊し都心の地価が下がったことに加え、少子化で受験競争が緩和された受験生の選別意識が高まり郊外キャンパスが敬遠されるようになった。また、キャンパスが大阪府吹田市や豊中市などの郊外へ分散した大阪大学や、広島県東広島市などに大学が分散した広島大学といった政令指定都市の都心部に若者が減り、都市活力の低下が指摘されるようになるなど、郊外移転が推奨されていた時期とは全く逆の動きが現れた。 さらに文部省も1990年代になると大学設置基準の大綱化に伴い、大学・学部設置等の認可に対する抑制方針の見直しが行われ、都心部での学部増設や定員増加を認めるようになる。この方針を反映して建設されたのが明治大学のリバティタワー(1998年竣工)や法政大学のボアソナード・タワー(2000年竣工)などである。 2002年に首都圏既成市街地工場等規制法および近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止されると用地取得に制限がなくなり、高層校舎の建設だけではなく、周辺の土地を取得することでキャンパスそのものを拡大させて定員増加・学部増設を図るようになる。 東洋大学は隣接する住宅展示場跡地を取得し、2005年度から従来は朝霞キャンパスと白山キャンパスに分断されていた文系5学部を都心の白山キャンパスへ統一した。これは日本国内で都心から郊外へキャンパスを移転した大学としては初めての全面都心回帰であった。東洋大学が入学志願者数を急増させると、郊外移転した大学が都心回帰をさらに検討するようになった。 その他、共立女子大学・昭和音楽大学なども本部のあるキャンパスへ全面的に回帰、城西大学が東京都千代田区に、帝京平成大学が東京都豊島区にキャンパスを新設するなど、都心進出の動きを見せている。また実践女子大学も3学部中2学部を渋谷キャンパスに移転した。 特に、郊外移転の先駆者であった中央大学法学部の都心回帰は話題を呼んだ。中央大では学生の側からも都心回帰の要求が根強く、学生組織「多摩キャンパスを都心に近づける会」が全学部の都心回帰を要求し、中大多摩キャンパスの建物を都心側へ押すパフォーマンスを行っていた。 近畿圏においても、神戸学院大学が神戸市中央区のポートアイランドの再開発事業の一環として都心部に大規模な新キャンパスを開設する動きがある。大学の街として知られる京都でも、同志社大学が京都市上京区の系列の中学を移転させ大学用地を拡張した。京都市営地下鉄東西線沿線の再開発により立命館大学のほか、佛教大学や京都学園大学が都心部にキャンパスを構えるようになった。また、大阪市立大学や関西大学、龍谷大学など、大阪市中心部の梅田や中之島にサテライトキャンパスを設置するケースが増えている。 近畿圏では今後も、京都市立芸術大学の京都市下京区(崇仁地区)への移転などが予定されている。 都心型の大学の多くは、ビルキャンパスを教室棟として使用する大学も多く、中には地上15階を越えるタワーキャンパスも多い。明治大学や法政大学に代表されるタワー型のキャンパスは、主に東京都心に立地したが、2010年代に入り三大都市圏の各地でも計画されるようになった。大阪工業大学のOIT梅田タワーや、愛知大学が都心にタワー型キャンパスの名古屋キャンパスを設置した。また神奈川大学が横浜みなとみらい21地区に進出することを発表している。
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