都心回帰へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:05 UTC 版)
斎藤が社長に就任した1985年の時点で、千里丘放送センターは完成から25年を経過し建物の老朽化を指摘されだす。東海道新幹線の新大阪駅や伊丹空港からも遠く、出演者の移動には不便だったこともあり、高橋亡き後のMBSは都市中心部への回帰を考えるようになる。1987年(昭和62年)、斎藤の陣頭指揮でMBSは大阪・梅田の中心地に程近い茶屋町にあった阪急百貨店本店流通センターの土地を取得。地上15階建ての新本社ビルを建設することにした。1990年(平成2年)、MBS新本社・放送センターは完成し、開局記念日を目前に控えた8月20日にラジオ部門が移転したのをきっかけに業務を開始。千里丘放送センターにあった現場部門の大半と毎日大阪会館に残っていた営業部門の全部が1ヵ所に集約された。 詳細は「毎日放送#茶屋町に移転」および「毎日放送開局40周年記念特別番組#その他の40周年特別番組・事業など」を参照 「毎日放送千里丘放送センター#千里丘で制作された番組」および「ミリカホール#歴史」も参照
※この「都心回帰へ」の解説は、「斎藤守慶」の解説の一部です。
「都心回帰へ」を含む「斎藤守慶」の記事については、「斎藤守慶」の概要を参照ください。
- 都心回帰へのページへのリンク