連接車計画の存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:10 UTC 版)
「名鉄3400系電車」の記事における「連接車計画の存在」の解説
また、前記決裁書においては、東部線向け新型車両2両編成3本について、当時の流行を反映して前頭部を流線形状とし、さらに連接構造を採用した「流線形連接車」として予算を計上しており、本系列は2車体3台車構造の連接車として計画されていたことが明らかとなっている。連接構造の採用は製造発注先の日本車輌製造本店からの提案であったと伝わり、同社は本系列の受注に先立つ1934年(昭和9年)に、京阪電気鉄道向けに日本の鉄道車両史上初の連接車として設計・製造された60型電車「びわこ号」を納入していたことから、その実績をもって名鉄側に提案したものとされる。また、本系列をはじめとした日本国内のみならず世界的に大流行した鉄道車両における流線形デザインの祖であるドイツの電気式気動車「フリーゲンダー・ハンブルガー」が連接構造を採用していたことに影響を受けたともされる。 連接構造の採用による長所としては、一編成あたりの台車数の削減による製造コストおよび保守コスト削減などが挙げられ、設計担当者より連接構造の採用を強く推奨された。しかし、本格的な高速鉄道向けの鉄道車両における連接構造の採用は当時の日本国内においては前例がなく、本系列を連接車として設計することについて担当部署の上長より慎重な見解が示されたことも記録されている。 結局、一編成あたりの台車数が減少することによって車輪1軸あたりの軸重が過大となることなどを理由として連接構造の採用は見送られた。本系列は一般的な2軸ボギー構造による車両として設計が進められ、1936年(昭和11年)7月26日付で設計図面「見-2-ハ-4066」が日本車輌製造本店において作成され、最終仕様が決定した。 発注時の1両あたりの単価はモ3400形が56,000円、ク2400形が32,000円で、財源として1936年(昭和11年)11月発行の新株払込金が充当された。なお、850系の発注時単価はモ850形が45,000円、ク2350形が24,900円であり、本系列の単価は850系と比較して約2割高額であった。 翌1937年(昭和12年)3月16日付で3401編成(モ3401-ク2401)・3402編成(モ3402-ク2402)・3403編成(モ3403-ク2403)の2両編成3本が竣功し、翌17日の公式試運転を経て、営業運転に就役した。 上記経緯により落成した本系列は、前述の通り現・名鉄発足後初の新規設計車両であり、元名鉄社員で鉄道研究家の清水武は、本系列の設計経緯について「(本系列を)新生名鉄のシンボルカーにしようとする関係者の意欲が込められていたに違いない」と評したほか、後年の名鉄社内において本系列は「名岐と愛電の良い部分を集大成した高性能車」と評された。
※この「連接車計画の存在」の解説は、「名鉄3400系電車」の解説の一部です。
「連接車計画の存在」を含む「名鉄3400系電車」の記事については、「名鉄3400系電車」の概要を参照ください。
- 連接車計画の存在のページへのリンク