財閥形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:24 UTC 版)
「ミハイル・ホドルコフスキー」の記事における「財閥形成」の解説
ユダヤ系ロシア人として、ソビエト連邦時代のモスクワに生まれた。メンデレーエフ記念化学工科大学卒業。コムソモール書記となる。 1988年、コムソモールの組織を土台として、メナテップ(部門間科学技術プログラム)グループを発足させた。ソ連ジルソツ銀行と合同し、同年12月、科学技術進歩商業革新銀行を設立。同行は1990年、メナテップ銀行(バンク・メナテップ)と改称して、同行を中心にメナテップ・グループを拡大する。メナテップ銀行は、ソ連共産党の隠れ資産の運用・資金移転を実行していたとも言われる。同行は、1992年のエゴール・ガイダル、アナトリー・チュバイスが主導したバウチャー方式の民営化と、1995年に実施された株式担保型民営化の過程で多数の企業を取得し、巨大な持株会社を形成した。 1995年9月、グループ管理会社として「ロスプロム」を設立。メナテップ・グループは、外国為替取引や国債運用でグループの資産を増やすと同時に、ロシア国内の有望な企業に対して投資・買収を実施していった。「ロスプロム」にはメナテップ・グループの投資部門が切り離され、「ロスプロム・グループ」として一大財閥を形成する。担保入札を通じて食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収める。石油会社ユコスもそのような形で吸収した企業のひとつであった。一方、メナテップ銀行は、1998年の商業銀行ランキングでロシア第5位に至るも、同年のロシア金融危機によって破綻したはずだった。 しかし、グループはユコスを中心として発展していく。ホドルコフスキーは、1998年ユコス社の社長に就任。原油の対米直接輸出を開始。ルクオイルと並ぶロシア最大の石油会社にユコスは成長する。2003年4月に「シブネフチ」社を吸収合併する計画を発表する。メナテップ銀行は、国際決済機関クリアストリームの2000年度口座リストに匿名口座をもっていた。同行は、1999年8月に発覚したクレムリンスキャンダルに巻き込まれていた。この事件は、IMFが貸し付けた数百億ドルをタックス・ヘイヴンへ隠した事件である。
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