財閥解体とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 05:37 UTC 版)
1947年(昭和22年)9月26日、岡崎財閥(株式会社岡崎本店)は、財閥解体第5次指定を受けて解散し、財閥としての終焉を迎えた。 財閥を構成していた各社のうち、主要なものはその後以下のような経過をたどった。 旧岡崎汽船 徴用船のうち、戦後に唯一生き残った日京丸は、1949年(昭和24年)4月に返還され、9月に岡崎本店汽船部の後身会社として日豊海運が設立されると、その後身会社に引き継がれた。岡崎家は日豊海運においても、引き続き経営に参画している。 同和火災海上保険 戦後も同名で存続した。2001年(平成13年)4月、日本生命保険の子会社であるニッセイ損害保険と合併してニッセイ同和損害保険となり、2010年(平成22年)10月にあいおい損害保険と合併、現在のあいおいニッセイ同和損害保険に至っている。同和火災海上保険の初代社長である岡崎真一の長男岡崎真雄は、1960年(昭和35年)に25歳で同社取締役に就任、その後も昇進を重ね、1985年(昭和60年)同社代表取締役社長に、1998年(平成10年)には同社会長に就任している。その後真雄は2001年(平成13年)、ニッセイ同和損害保険の代表取締役会長にも就任、2006年(平成18年)に退任後は名誉会長となった。 神戸銀行 1947年(昭和22年)1月、当時の経営陣の多くが公職追放の対象となって銀行を去ったため、2月に忠雄の婿養子である42歳の岡崎忠(ちゅう)が2代目の頭取に就任。1967年(昭和42年)までその地位を保持し、岡崎家の支配が長らく続いた。神戸銀行はその後、1973年(昭和48年)10月に太陽銀行と合併して太陽神戸銀行となり、1990年(平成2年)4月に三井銀行と合併して太陽神戸三井銀行(後にさくら銀行と改称)へ、さらに2001年(平成13年)4月には住友銀行と合併して、現在の三井住友銀行へ変遷を遂げている。
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