財閥解体後(20世紀)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:43 UTC 版)
戦後、日本経団連の誕生で財界は総主流体制に移行した。戦前は旧三井財閥を軸とする保守本流、重厚長大企業が中心で、大企業のすべてが経団連の重要ポストである正・副会長に名を連ねてはいなかった。バブル後はトヨタ自動車、NTT、パナソニック、キヤノン、武田薬品工業などが加わる。旧日経連に力を入れていた旧三菱系企業も統合後は顔を出すようになる。 他財閥と同様「三井グループ」としてグループ化をするも、相対的弱体化を余儀なくされる。その主な原因は、帝国銀行から第一銀行が分離したことによる三井銀行が被った大きな損失で、三井銀行は資本金の約50%を失った。そのため三井系会社が必要とするクレジットを提供することができなくなり、グループのいくつかに対する影響力を失い、富士銀行、日本興業銀行などの他のグループの銀行がこれらの会社の主要な債権者になった。また三井系の生産会社間の有機的、生産的、金融的結びつきの弱さも、一連の会社が三井との関係を弱めたり分離したりする一因となった。 さらに三井グループの中核会社である三井物産の解体も大きく影響した。三井物産を基盤にしてすすめられた三井物産と第一物産の再合同は、第一物産が富士銀行の融資系列下にあったため手間取り難航した。なお、三井物産と芙蓉グループとの関係はこの関係から生まれたともいわれる。そのため三菱グループや住友グループなどと比べてもゆるやかな連合体となっており、グループ企業には独立色の強い企業(トヨタ自動車、東芝、フジクラなど)や他の企業グループに重複して加盟している企業もある。 サントリーやIHI、サッポロビールの結集はやや遅れたが旧三和系、旧芙蓉系、旧第一勧銀系を満遍なく取り込んだ。後発かあるいは設立関与で息のかかった程度の存在である富士フイルムなどは新規加盟の部類である。三井財閥系企業が八重洲・日本橋、三菱財閥系企業が大手町・丸の内に集積している事から、それぞれを「三井王国」・「三菱王国」とも呼ばれる地区の存在になっている。また、東京放送ホールディングスが二木会・月曜会・三井業際研究所・三井文庫に加盟し、TBSテレビが月曜会に加盟したことにより三井グループはマスメディアも包括する企業集団となった。 旧三井財閥の持株会社である三井本社は財閥解体後も清算株式会社として存続していたが、1956年(昭和31年)に三井系の不動産会社である三井不動産に吸収合併された。
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