財閥本社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:55 UTC 版)
浅野同族株式会社 大正7年設立。大正3年設立の浅野合資会社の後身。浅野財閥の他の会社に投資はするが、指揮監督はしないので、他財閥の本社とは異なる。一つの営利会社として活動する。大正9年頃の組織は、大理石部(輸入大理石の加工販売)、保険部(浅野財閥関係会社の保険業務)、建設部(鉄筋コンクリート会社の前身)、浚渫部(築港埋立の請負工事)、製薬部(浅野カーリットの前身)、貿易部(浅野物産の前身)、船舶部(船舶の売買)、回漕部(関東運輸の前身)、石炭部、鉱山部(水力課、鉱山課)、総務部(庶務課、経理課、企画課)だった。昭和4年の組織は、総務部(同系会社への投資)、鉱山部(鉱山関係の研究調査)、石炭部(浅野財閥でない炭鉱も含む石炭の取次販売)、保険部(浅野系に限定せず生命保険・損害保険の代理業)、浚渫部(築港埋立事業の請負)。大正13年から昭和2年は、傘下企業の不振と直営事業の縮小のせいで、毎期赤字決算になり、借入金の金利負担が毎年累積した。昭和2年に繰越損失が1000万円近くになり、決算時点の損失は2000万円以上になった。昭和初年は毎年、借入金の利子支払にも追われていた。昭和14年に、巨額の追徴課税を回避するために、或いは債務超過のために解散し、昭和19年に改めて株式会社浅野本社が設立された。浅野財閥本社は自社ビルを持たずに、大手町正金ビルと海上ビルに賃貸で入居していた。 白石同族合資会社 浅野総一郎の娘と結婚して、日本鋼管を設立した、白石元治郎が設立。 合資会社紫雲社 浅野良三家の証券保有会社。 合資会社禾恵社 穂積重威(浅野総一郎の長女の長男で弁護士)家の証券保有会社。 合資会社美蔦会社 清水幸一郎(圭一郎)家の証券保有会社。 浅野興業 解散する浅野同族株式会社の臨時の代替会社として昭和13年に設立。室蘭埋築を合併する。
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