匿名口座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:41 UTC 版)
セデル内規では、存在する口座のリストについて、国際決済システムに参加する全金融機関に公開することになっていた。しかし、決済システムを直接に利用できる金融機関は限られていたために、セデルは次のような便宜を図った。つまり、「定員」に収まらない支店の口座を匿名で開いた。これは各本店の責任で内部的に清算されるため、利用者は取引相手の本店のコードさえわかれば決済できるという利点もあった。この匿名口座は「オールドボーイ」とあだ名された。 ここまではお得意様に対する譲歩として許容される範囲であったが、ジェラールが変死を遂げた頃から事態が悪くなったようである。彼が1983年5月5日付で残した書類に、匿名口座の開設を要求した銀行のリストがあった。チェースマンハッタン、ケミカルバンク、シンガポールのインドスエズアジア、シティバンクなどの名前がそこにあった。 アンドレ・リュシが代取となってから、彼自身は否定しているが、この匿名口座は濫発された。支店をもたない銀行や、そもそも銀行ではない組織が匿名口座を開いていた。ユニリーバ、シェル石油、シーメンス、フランス銀行の匿名口座に隠れて対外治安総局、そしてルクセンブルク財務局までが、お得意様としての便宜をこえた何かを匿名口座にひた隠していた。ルクセンブルク国際銀行は、匿名口座を1995年の口座リストで最も多く309も開いていた。 シーメンスのケースでは、1995年時点でドイツに3つとオーストリアに1つの匿名口座をもっていた。2000年の時点でシーメンスがクリアストリームに持っていた口座の1つはドイツ銀行に結びついていた。また、同じ2000年の口座リストによれば、シーメンスはミュンヘンに本拠をおく7つの匿名口座をもち、野村証券、パリバ、メリルリンチ、リーマンブラザーズなどと結びついていたことが分かった。 1995年のセデルにおいて、2000の実名口座があったのに対し匿名口座は2200あった。2000年のクリアストリームにおいて、8518の実名口座があったのに対し匿名口座は7603あった。 2001年から2002年にかけて、フランスの政財界人が賄賂の資金洗浄を行うためクリアストリームの隠し口座を利用しているとの告発が行われた。詳細はクリアストリーム事件を参照。 2004年7月1日付の口座リスト712ページからは、バンク・マドフというニューヨークの金融機関が見つかった。マドフはバーナード・L・マドフ を指すと見られる。 「イングランド銀行#機能」、「アンドラ#国際関係」、「ミハイル・ホドルコフスキー#メナテップ銀行」、および「ガーンジー#タックス・ヘイヴンとしてのガーンジー島」も参照
※この「匿名口座」の解説は、「クリアストリーム」の解説の一部です。
「匿名口座」を含む「クリアストリーム」の記事については、「クリアストリーム」の概要を参照ください。
- 匿名口座のページへのリンク