財団法人らい予防協会:藤楓協会とは? わかりやすく解説

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財団法人らい予防協会:藤楓協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 07:37 UTC 版)

無癩県運動」の記事における「財団法人らい予防協会:藤楓協会」の解説

らい予防協会は、1931年 (昭和6年) に内務大臣安達謙蔵渋沢栄一設立した財団法人である。1931年1月21日内相官邸財界人集め予防協会発起人会が開かれ発足した財団としての正式認可同年3月18日である。癩予防協会は、癩予防の啓もう、調査研究助成、癩患者扶助、「未感染児童保護患者相談所の設置収容患者訪問、癩予防事業従事者奨励などの活動行った見た目民間財団法人であるが、事務所内務省衛生局におかれていたことからわかるように実際に内務省外郭団体である。実質的には同協会内務省による癩行政補助機関であり、ハンセン病患者絶対隔離政策促進のための宣伝活動主要業務とした。事実、副会頭理事長には内務次官常務理事には衛生局長と予防課長、理事社会局社会部長というように、内務官僚要職占めている。会頭には清浦奎吾元首相がついた。 財団発足にあたっては、第59回帝国議会貴族院衛生組合法案特別委員会癩予防法案が審議されていた際に、「癩予防協会」が内務官僚天下り機関になるのではないかとの懸念示されていた。その際衛生局長は、協会民間団体であることを強調し弁明つとめたが、結局出来上がったのは内務省外郭団体であった財団基金は、貞明皇后下賜金と、会費財界からの寄付国庫補助金からなっていた。 同協会中心活動1つは「癩予防週間」による宣伝活動で、貞明皇后誕生日である6月25日中心として行われた。もう1つ大きな活動出版物による宣伝で、内務省衛生局の「癩の話」の再編集本の発行皮切りに以後『国から癩をなくしませう』『癩伝染経路』『癩予防施設概観 (昭和十年)』『同 (昭和十二年)』『療養の手びき』『癩の解説』『本妙寺の癩部落解消詳報 資料 』『癩の根本対策』など多数小冊子発行した1951年 (昭和26年) に貞明皇后死去後遺金一部基金とし1952年 (昭和27年) に協会改組された。また、それまで「癩予防週間」と名付けられていた宣伝活動は、1964年からは「ハンセン病正しく理解する週間」に名称変更された。この時代になると、さすがに「癩」という言葉差別的であるとみなされるようになったのが原因とみられている。 その後協会2003年から「財団法人ふれあい福祉協会」と改称されている。また、ハンセン病正しく理解する週間」は、厚生労働省との交渉の中で統一交渉団の要求に基づき廃止され6月22日 (ハンセン病補償法制定された日) を「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定めて厚労省主催によって2009年から開かれている。

※この「財団法人らい予防協会:藤楓協会」の解説は、「無癩県運動」の解説の一部です。
「財団法人らい予防協会:藤楓協会」を含む「無癩県運動」の記事については、「無癩県運動」の概要を参照ください。

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