諏訪駅
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諏訪駅 | |
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駅舎(2008年7月)
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すわ Suwa |
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◄新大村 (1.1 km)
(1.4 km) 大村►
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所在地 | 長崎県大村市諏訪三丁目47 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | ■大村線 |
キロ程 | 34.8 km(早岐起点) |
電報略号 | スワ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
246人/日(降車客含まず) -2016年- |
乗降人員 -統計年度- |
487人/日 -2016年- |
開業年月日 | 1989年(平成元年)3月11日[2] |
備考 | 無人駅 |
諏訪駅(すわえき)は、長崎県大村市諏訪三丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)大村線の駅である。
歴史
- 1989年(平成元年)3月11日:開業[2]。総工費は2,000万円で、全額をJR九州が負担して建設された[1]。
- 2012年(平成24年)12月1日:ICカード「SUGOCA」の利用を開始[3]。
- 2013年(平成25年)3月16日:無人化。
- 2017年(平成29年)8月6日:西九州新幹線の高架橋に支障するため、線路を西側に移動し竹松駅方面に仮設プラットホームを設置、使用開始[4]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅[1]。開業当初からの小形な駅舎を備える。ホームは諫早側を向いて左側に位置する。
無人駅。かつてはJR九州鉄道営業が駅業務を行う業務委託駅だった。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■大村線 | 下り | 諫早・長崎方面 |
上り | 早岐・佐世保方面 |
利用状況
- 2010年度の1日平均乗車人員は244人である。
乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
2000 | 276 |
2001 | 249 |
2002 | 233 |
2003 | 247 |
2004 | 227 |
2005 | 222 |
2006 | 225 |
2007 | |
2008 | |
2009 | |
2010 | 244 |
駅周辺
大村市郊外の住宅地で、学校や大村市の出張所などがある。長崎空港へは距離的には当駅が最も近いが、隣の大村駅よりバス利用が便利。また、国道444号に近く、大村ICへの最寄り駅でもある。
隣の駅
脚注
関連項目
外部リンク
- 諏訪駅(駅情報) - 九州旅客鉄道
諏訪駅
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1913年(大正2年)、諏訪神社から現在の国道1号線を挟んだ南に三重軌道(のちに三重鉄道、三重交通、近鉄を経て、現在の四日市あすなろう鉄道内部八王子線)が諏訪前駅(後に諏訪駅に統合)を設け、続いて同年四日市鉄道(現・近鉄湯の山線)も旧東海道付近に諏訪駅を開業、その後両路線は延伸し1916年(大正5年)、当時の繁華街に近い現在のハローワーク四日市付近に合同駅が開業する。 1922年(大正13年)に伊勢電気鉄道(後の近鉄名古屋線)津 - 四日市間が開業、関西鉄道と平行する形で現在のJR四日市駅前へ乗り入れる。その後、伊勢電気鉄道は桑名への延伸を画策するが当時の市街地を貫く線形での敷設を断念、先行して諏訪駅を経由し四日市駅まで開業していた三重鉄道(旧三重軌道・内部八王子線)および四日市鉄道(湯の山線)の路線を利用して市街地を迂回するルートを採った。1928年(昭和3年)までに三重鉄道および四日市鉄道は両線の四日市 - 諏訪間を廃止し、伊勢電気鉄道に線路敷を譲った。1929年(昭和4年)伊勢電気鉄道は諏訪駅を経由し桑名へ延伸開業、同時に諏訪駅は三重鉄道、四日市鉄道も乗入れるターミナル駅となり四日市市における鉄道網ができあがった。 桑名延伸当時の伊勢電気鉄道の線形は、名古屋方面からの線路が現在の近鉄四日市駅北方500メートル付近からカーブを描いてほぼ直角に曲がり、(天理教カーブ)そのまま東に進み、四日市駅前でまたほぼ直角にカーブして(善光寺カーブ)、南に方向転換していた。なお南側は、現在は関西本線と近鉄名古屋線が立体交差しているあたりで、現在の路線に合流していた。 諏訪駅の周りには商店街が形成され、多くの店舗や劇場などが立ち並ぶ繁華街となった。しかし、諏訪駅前後の急曲線は速度向上や車両大型化に支障をきたし、近鉄名古屋線最大の線形上のネックであった。また諏訪駅は市の中心駅にしては規模が小さく、建物の老朽化もあったため、 1956年(昭和31年)に近鉄名古屋線の大幅なルート変更により線形を改良、駅を現在地へ移転し名称も近畿日本四日市駅に変更された。これを契機に前述の岡田屋も店舗を近畿日本四日市駅前に移転している。 線形変更の結果、近鉄名古屋線と関西本線は四日市では接続しなくなった。一方、戦時統合で八王子線と湯の山線を承継した三重交通(当時)も近畿日本四日市駅を起点としたため、1927年以前のように国鉄四日市駅を起点とする路線の復活は行われなかった。
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