諏訪飛龍人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 08:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動諏訪飛龍人(Hiryu.SUWA)は日本大学芸術学部映画学科卒業の映画監督、映像クリエーター。長野県諏訪地方出身。
アダマスサンティー株式会社で当時社長の友人であった菊池監督の劇映画の助監督として業界にデビューするもビデオ映像への興味から(株)イマジ映像開発センターに移籍、企業VPのプロデューサーとテレビ番組の演出を担当した。
同社の分社によりイメージエキスプレスに移籍後、テレビ番組の制作とレコード会社を発売元とするVPをてがけた。その後、独立して飛鳥映像を設立、テレビ番組などを制作する。このころは諏訪飛龍人の監督ネームは使用していない。
2020年、諏訪飛龍人ネームを復活して終の監督作品シナリオを執筆中。
エピソード
江古田時代は殆ど学校には行かずアルバイト生活、「フィルムの詰め替えと白手袋でネガをハサミで切ることにお金はらって習うために東京に出てきた訳だはない」と体育会系の先輩のおごりで酒を飲んでいたという。
1986年、会社社長を代理に預けて日芸同期の友人のいるハリウッドを目指すもハワイに2週滞在してバケーション中に日本の会社でトラブルが発生し帰国している。
海軍特攻の父親の影響か航空自衛隊への入隊を夢見た少年だったが肺の病気で入院し断念。
モーターランドの製作に関わったがなかなか新車試乗の撮影現場に立ち会う時間がなく自分で信用できるリポーターの情報を信じて購入をつづけたクルマ道楽人。終の自動車と決めていた993 4Sは「サンルーフを開けなかったのが失敗」と手放す。(本人談)
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