廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 01:16 UTC 版)
大崎町の中心駅であった。 志布志起点9.5km。 勾配上にある駅であった。 千鳥状に配置された相対式ホーム2面2線を有する、列車交換が可能な駅であった。 直営駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅大崎駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅大崎駅」の記事については、「大隅大崎駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:11 UTC 版)
旧・福山町の中心駅で、1面1線の単式ホームを有する列車交換不能駅であった。駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 開業時からの無人駅だった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅福山駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅福山駅」の記事については、「大隅福山駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:12 UTC 版)
志布志起点91.9km。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 開設時からの無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「敷根駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「敷根駅」の記事については、「敷根駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:09 UTC 版)
起点の志布志駅から、69.7kmの地点にあった。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。駅舎がなく、無人駅であるという駅が終点の国分まで続く。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅麓駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅麓駅」の記事については、「大隅麓駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:21 UTC 版)
志布志起点25.7 km。 1面2線の島式ホームと側線1本を有する、列車交換が可能な駅であった。 直営駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「吾平駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「吾平駅」の記事については、「吾平駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:10 UTC 版)
志布志起点72.5Km。 単式ホーム1面1線を有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅辺田駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅辺田駅」の記事については、「大隅辺田駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:22 UTC 版)
志布志起点21.5 km。 島式ホーム1面2線と側線数本を有する、列車交換が可能な駅であった。 委託駅であった。 駅舎は鉄筋作りの、立派なものであった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅高山駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅高山駅」の記事については、「大隅高山駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:24 UTC 版)
大隅大崎駅とは1kmほどしか離れていなかった。 無人駅かつ地上駅で、単式ホーム1面1線を有する列車交換不能駅であった。 妻面に、出入り口を有する駅舎があった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「三文字駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「三文字駅」の記事については、「三文字駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:20 UTC 版)
起点の志布志駅から、29.0 kmの地点にあった。 単式1面1線のホームを有する、列車交換不能駅であった。 無人駅であった。 駅舎は無く、ホームとその上の待合所のみの駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅川西駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅川西駅」の記事については、「大隅川西駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:10 UTC 版)
起点の志布志駅から、79.3kmの地点にあった。 1面2線の島式ホームを有する列車交換が可能な駅で、当駅折り返しの列車も存在した。垂水 - 国分の中間駅では、唯一交換設備が設置されていた。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。 当駅の両端はトンネルで挟まれていた。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅境駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅境駅」の記事については、「大隅境駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:23 UTC 版)
木造駅舎と島式ホーム1面1線を有する地上駅だったが、かつては島式ホーム1面2線を有していた(駅舎側の線路は撤去されていた)。 隣の東串良駅との間は600mしかなく、列車に乗り遅れても走って追いかければ間に合ったというエピソードが知られている。
※この「廃止時の構造」の解説は、「串良駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「串良駅」の記事については、「串良駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:48 UTC 版)
※この「廃止時の構造」の解説は、「犬伏駅 (徳島県)」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「犬伏駅 (徳島県)」の記事については、「犬伏駅 (徳島県)」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:13 UTC 版)
「古江駅 (鹿児島県)」の記事における「廃止時の構造」の解説
起点の志布志駅から、47.8 kmの地点にあった。 千鳥状に配置された2面2線の相対式ホームと側線1本を有する、列車交換が可能な駅であった。 委託駅であった。 戦時中は、軍需物資の中継駅として賑わいを見せていた。
※この「廃止時の構造」の解説は、「古江駅 (鹿児島県)」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「古江駅 (鹿児島県)」の記事については、「古江駅 (鹿児島県)」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 11:31 UTC 版)
志布志起点41.0 km。 単式ホーム1面1線と側線1本を有する列車交換不能駅であったが、駅舎とホームは離れていた。現在鹿屋市が旧高須トンネルの高須駅側坑口に設置した大隅線の説明板では、トンネル坑口に近接して置かれた片面ホームと、トンネルから出た単線がY字分岐に変更可能な配線がされた改軌後の写真が掲示されている。1967年6月の時刻表では、当駅で旅客列車同士が交換しているダイヤが記載されているため、その当時は交換設備があったと考えられる。 委託駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅高須駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅高須駅」の記事については、「大隅高須駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:09 UTC 版)
志布志起点64.8Km。 単式1面1線のホームを有する、列車交換が不能な駅であった。 駅舎はなく、プラットホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。 高い位置にあった為、ホームへ上がるには階段を通らなければならなかった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「海潟温泉駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「海潟温泉駅」の記事については、「海潟温泉駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:04 UTC 版)
起点の志布志駅から、59.1kmの地点にあった。 単式1面1線のホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「浜平駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「浜平駅」の記事については、「浜平駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:02 UTC 版)
「諏訪駅 (鹿児島県)」の記事における「廃止時の構造」の解説
起点の志布志駅から53.3kmの地点に設置された当駅は、駅員および委託駅員が存在しない無人駅として営業されていた。ホーム構造は単式1面1線であり、列車交換不能駅であった。構造物として駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみが存在した。
※この「廃止時の構造」の解説は、「諏訪駅 (鹿児島県)」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「諏訪駅 (鹿児島県)」の記事については、「諏訪駅 (鹿児島県)」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:13 UTC 版)
志布志起点44.9 kmに位置した無人駅。単式ホーム1面1線と側線1本を有する、列車交換不能駅であった。 有人駅時代にはホームの垂水方先端に木造の駅舎が存在していたが、無人化後に取り壊され、その跡にコンクリート製の待合所が建てられた。ホームからは海を臨むことができた。
※この「廃止時の構造」の解説は、「荒平駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「荒平駅」の記事については、「荒平駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:23 UTC 版)
東串良町の中心駅であった。 志布志起点16.2km。 木造駅舎と島式ホーム(片面使用)1面1線、数本の側線を有していたが、無人化以前は島式ホーム1面2線を有する列車交換が可能な駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「東串良駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「東串良駅」の記事については、「東串良駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:21 UTC 版)
起点の志布志駅から、23.9 kmの地点にあった。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 無人駅であった。 駅舎はなく、ホーム上の待合所のみの駅だった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「論地駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「論地駅」の記事については、「論地駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:03 UTC 版)
志布志起点56.4Km。 単式ホーム1面1線を有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「柊原駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「柊原駅」の記事については、「柊原駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:12 UTC 版)
起点の志布志駅から、94.4kmの地点にあった。旧・国分市内に入り、各駅間の距離がかなり詰まっていた。 1面1線の単式ホームを有する列車交換不能駅、かつ地上駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 築堤の上にあった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「銅田駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「銅田駅」の記事については、「銅田駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:52 UTC 版)
起点の志布志駅から、19.0 kmの地点にあった。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「下小原駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「下小原駅」の記事については、「下小原駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:12 UTC 版)
志布志起点96.3km。国分市内(現霧島市)に入り、駅間の距離がかなり詰まっている。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「金剛寺駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「金剛寺駅」の記事については、「金剛寺駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:46 UTC 版)
栗野方面に向かって左側、構内の北東側に単式ホーム1面1線を有し、側線1本も有した地上駅であった。 無人駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「湯之尾駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「湯之尾駅」の記事については、「湯之尾駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 16:41 UTC 版)
もともとは相対式ホーム2面2線を有し列車交換が可能だったが、廃止時は単式ホーム1面1線の交換不能駅と化しており、無人駅となっていた。 使われなくなったホームが残っていた。 木造駅舎があった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「菱田駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「菱田駅」の記事については、「菱田駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:59 UTC 版)
起点の志布志駅から、37.1km地点に位置した。 単式1面1線のホームと側線1本を有する、列車交換不能駅であった。 有人駅だった時期もあるが、廃止時には無人駅となっていた。 戦後まもなく建設されたコンクリートの駅舎があり、無人化後駅廃止時まで存在し、現在もフィットネスパース(サイクリングロード)の休憩所としてその場に残っている。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅野里駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅野里駅」の記事については、「大隅野里駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:56 UTC 版)
※この「廃止時の構造」の解説は、「永野田駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「永野田駅」の記事については、「永野田駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:11 UTC 版)
単式1面1線のホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大廻駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大廻駅」の記事については、「大廻駅」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:06 UTC 版)
「垂水駅 (鹿児島県)」の記事における「廃止時の構造」の解説
志布志起点61.6Km。 島式1面2線のホームを有する、列車交換が可能な駅であった。 垂水市の中心駅ながら、素朴な木造の駅舎を持っていた。 委託駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「垂水駅 (鹿児島県)」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「垂水駅 (鹿児島県)」の記事については、「垂水駅 (鹿児島県)」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:01 UTC 版)
「新城駅 (鹿児島県)」の記事における「廃止時の構造」の解説
志布志起点51.8Km。 1面1線の単式ホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「新城駅 (鹿児島県)」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「新城駅 (鹿児島県)」の記事については、「新城駅 (鹿児島県)」の概要を参照ください。
廃止時の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:10 UTC 版)
志布志起点75.7Km。 単式1面1線のホームを有する、列車交換不能駅であった。 駅舎はなく、ホームとその上の待合所のみの駅であった。 無人駅であった。
※この「廃止時の構造」の解説は、「大隅二川駅」の解説の一部です。
「廃止時の構造」を含む「大隅二川駅」の記事については、「大隅二川駅」の概要を参照ください。
- 廃止時の構造のページへのリンク