有人駅時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 09:02 UTC 版)
1日の乗車客数は20人前後であったが、ホームがトンネル内にある特殊な構造となっていることから監視要員として駅員が複数配置されていた。 経営分離前は業務委託駅としてジェイアール西日本金沢メンテックの社員5名が交替で24時間、年中無休で常駐して窓口業務のほか列車到着ごとにホームでの安全確認や乗降客への案内、地上駅舎への連絡を行っていた(JR時代の管理元は糸魚川地域鉄道部)。 また、普通列車の到着時は、必ず地上の駅員がホームまで降りて客の乗降に立ち会い、ホームから客が全員退去したことを確認していた。 経営分離後もジェイアール西日本金沢メンテックの業務委託駅としてしばらく運営されたが、5名配置されていた駅員は3名に削減、1名の駅員で駅舎の出札業務やホーム上の集札業務を兼務するようになった。 2017年、駅運営の直営化に伴い改札からホームへの通路上に監視カメラを設置した。 同時に駅員配置は日中のみに短縮、集札業務を取りやめてワンマン列車においては終日車内精算となった。 2019年、1日の平均利用客数が20人前後と落ちこんでいることを受け、同年3月16日に無人駅となった。
※この「有人駅時代」の解説は、「筒石駅」の解説の一部です。
「有人駅時代」を含む「筒石駅」の記事については、「筒石駅」の概要を参照ください。
- 有人駅時代のページへのリンク