計画凍結とルート再変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:47 UTC 版)
「川崎縦貫高速鉄道」の記事における「計画凍結とルート再変更」の解説
2001年10月の川崎市長選挙では地下鉄計画が争点となり、「地下鉄計画は原則推進」と表明して出馬した元官僚・大学教授の阿部孝夫が、建設推進派で現職の高橋清や建設見直しを主張する対立候補を破って初当選した。 阿部市長は学識者と市民で構成された「川崎縦貫高速鉄道線研究会」を設置して事業費の削減を検討させ、研究会は小田急多摩線との相互直通化や車両基地の建設中止などを提言した。当時は川崎市の財政が一時的に黒字でなくなったこともあり、経済環境の厳しさを説明する前書きが設問の前に付されたアンケートを、2003年5月に沿線地域に限らず全市域の市民1万人を対象に実施した。アンケート結果は「財政好転まで延期」40.0%、「事業中止すべき」32.9%、「予定どおり建設」15.8%、「わからない」11.2%であった。この結果を受け、同年6月に阿部市長は計画を5年間凍結することを決定した。 その後、5年を待たずして川崎市の財政は黒字化したが、2005年に阿部市長は川崎縦貫高速鉄道の採算性を高めるとの理由で再度のルート変更を指示した。2005年3月、初期整備区間の終点を東急線しか接続できない元住吉駅から、JRと東急の双方とも接続でき、当時建設予定(2010年3月開業)であった横須賀線の駅を介して東京駅方面への連絡も可能である武蔵小杉駅へ変更した。川崎フロンターレの本拠地である等々力陸上競技場をはじめ、川崎市の大型公共施設が集中する等々力緑地を経由地に加える方針が決定され、新百合ヶ丘駅 - 武蔵小杉駅ルート(1期線)の新たな計画概要が発表された。この計画では国の事業許可を得ていた計画よりもさらに短く、22年で利用料金により建設費用を完済でき黒字に転換するという試算が得られ、新百合ヶ丘・宮前平など経由都市の整備や経済効果に対する期待から事業の動向が注目された。 「武蔵小杉駅#横須賀線の駅設置の経緯」も参照 川崎市は、国の事業許可を受けて補助採択がなされ、環境アセスメント調査まで実施されていた新百合ヶ丘 - 元住吉間の事業廃止を決定。2005年9月9日に同区間の鉄道事業の廃止届を国土交通省に提出し、翌2006年4月1日に同区間の第一種鉄道事業が廃止された。 2007年12月5日、川崎市交通局は市議会本会議で、2008年度の地下鉄事業認可取得が困難であると答弁している。
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