解散騒動とトルキの離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 06:30 UTC 版)
「ストラトヴァリウス」の記事における「解散騒動とトルキの離脱」の解説
2003年12月、ヨルグとコティペルトがトルキとの確執により脱退。コティペルトは自分の楽曲がアルバムに採用されない不満をBurrn!誌のインタビューで漏らしている。2004年1月、後任として、イェンスの兄であるハンマーフォールのドラマーアンダース・ヨハンソンのサポート加入が伝えられるが、1ヶ月もしないうちにアンダースは離脱。ヴォーカルにはカタリーナ・ウィーアラー(通称:ミスK)という口から血を流したブラックメタル風のメイクをした女性が加入。しかし。ファンからは公式サイトに今までのストラトヴァリウスの音楽性と全く違う雰囲気の女性ヴォーカルの加入を批判する声が寄せられた。 2004年、ヨルグとコティペルトは脱退後もレコード会社との契約履行のため、幾つかの音楽フェスティバルにバンドの一員として出演した。2月29日、スペイン・グラナダの音楽フェスティバルの翌日、トルキが路上で襲われ、カッターナイフで左肩を切り付けられ、顔に打撲を負うという事件が起きた。二人の脱退前後から公式サイトで過激な発言を繰り返していたトルキは後に躁鬱病と診断され、数ヶ月入院静養をした。2005年になり、ヨルグとコティペルトの復帰宣言があり、以前のラインナップでの活動再開が発表されると、ミスK(Vo)は音源発表もライブ活動もしないまま、事実上、脱退ということになった。 同年9月、11thアルバム『ストラトヴァリウス』発表(日本先行発売は8月)。バンドの復活は祝福をもって受け入れられたが、後にトルキはこのアルバムが好きでないとインタビューで答えている。2005年秋、ベーシストのヤリが脱退。シナジーやコティペルトのソロプロジェクトのベーシストであるフィンランド人ベーシストラウリ・ポラーが代って加入し、ヨーロッパ・北米・日本を含むアジア・南米への大きなツアーが行われた。 2007年秋からはニューアルバムのレコーディングに入る。ほぼ完成していたにも関わらず、2008年3月にトルキがニューアルバムを白紙に戻し、楽曲をそのまま自らの新プロジェクトレヴォリューション・ルネッサンスで使用し、レコーディングに入ると発表。ストラトヴァリウス版のデモ・ヴァージョンは7月下旬にインターネット上に流出した。その後、4月3日にトルキがストラトヴァリウスの解散声明を発表。文中で「バンドではあったが友達ではなかった」とメンバーとの不仲を吐露する内容であった。しかし、トルキ以外の4名のメンバーはバンドの存続を表明。6月にはトルキの後任としてラウリの知人であるフィンランド人ギタリスト、マティアス・クピアイネンを迎え、ニューアルバムの制作に着手することを発表した。 一方、ティモ・トルキは初期メンバーのトゥオモ、アンティを呼び戻し、正式なラスト・アルバムをレコーディングすることを表明。5月20日にストラトヴァリウスのバンド名および過去の作品や新作からの売り上げ配分も拒否し、イェンス・ヨハンソンとティモ・コティペルトに譲る正式書類にサインしたことを明らかにした。これに対し、コティペルトはトルキへの敬意を表しつつも、旧メンバーを迎えてのトルキらによるアルバム制作はないと表明。10月、コティペルト・イェンス・ヨルグ・ラウリ・マティアスの新体制でストラトヴァリウスとして活動宣言。ニューアルバムのレコーディングに入った。これに対しトルキは嫌悪感を露にするコメントをしている。
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