西鉄北九州線折尾停留場とは? わかりやすく解説

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西鉄北九州線折尾停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 00:28 UTC 版)

折尾駅」の記事における「西鉄北九州線折尾停留場」の解説

かつて、本駅舎南向かいに西日本鉄道西鉄北九州線折尾停留場があった。 最初に建てられ駅舎は、1914年大正3年6月25日九州電気軌道折尾まで延長された際に開業した高架駅で、1942年昭和17年)の西鉄成立により同社の駅となった高架構造としたのは筑豊本線短絡線福北ゆたか線)との平面交差避けるためで、その交差地点は後の鷹見口6・7番のりば(A・Bのりば)となる折尾信号通信区のすぐ西側にあった木造モルタル造り2階建てでトタン屋根駅舎があったが1982年昭和57年)に火災焼失しその後駅前再開発合わせて1985年昭和60年12月18日商業ビル・オリオンプラザの第2ビルとして3階建て駅ビル建て替えられた。火災の後は一旦高架上がる手前地平部分仮駅設けて急場凌ぎその後駅ビルが建つまでは、高架駅上がる階段とそれに隣接する売店切符売り場などの建物から成る簡便な施設設けられた。駅舎建て替え後の駅構造櫛形ホーム3面2線で、ホーム3階にあった旧駅舎時代2階で、新し駅ビル旧駅舎の2階建てから3階建て変わったため3階位置づけになったホーム位置変化はない)。 2000年11月26日北九州線全廃により駅としては廃止されたが、ビルは駅施設部分を除きその後用いられていた。しかし、先述折尾地区総合整備事業によりビル敷地が「折尾駅南口駅前広場」の用地となったため、2010年9月ごろから解体され、一旦仮市民トイレ駐車場を含む広場になった北口から移転するバス乗り場などに整備される計画となっている。この広場照明灯化粧材や地面舗装材には解体時に出たアーチ橋煉瓦再生した再生煉瓦使われ、かつてのアーチ橋面影伝えているほか、煉瓦材の破片案内板と共にモニュメントとして置かれている。隣接オリオンプラザもこれに続いて2020年5月解体工事始まり同年中に完了している。 高架橋駅の橋桁赤煉瓦造りアーチ橋で、現存する大正期長大赤煉瓦高架橋折尾同年竣工した東京の新永間市街地高架橋のみ。筑豊本線短絡線をオーバークロスするガーダー橋挟んで東側に3連、西側に6連のアーチ橋があり、ホームは6連アーチ橋の上設けられていた。この6連アーチのうち西側3連は1985年オリオンプラザ第2ビル建設時取り壊され同時にホーム長も西側詰める形で短縮されて、詰めたスペース駅ビル敷地になった)、残る東側3連もオリオンプラザ第2ビル解体時に共に取り壊された。短絡線東側の3連アーチ東端直下を通る生活道路斜めに交わるため、アーチ向き斜めにする「ねじりまんぽ」(『まんぽ』はトンネルの意)と呼ばれる特殊工法使用され日本最大級である。通常のトンネル隣接するのは折尾のみで、土木技術史の教科書存在といわれている。「ねじりまんぽ」は、全国20数例確認されているのみで、先述折尾地区総合整備事業保存活用方向検討される予定ねじりまんぽ ホーム600形電車2000年

※この「西鉄北九州線折尾停留場」の解説は、「折尾駅」の解説の一部です。
「西鉄北九州線折尾停留場」を含む「折尾駅」の記事については、「折尾駅」の概要を参照ください。

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