西洋式戦術との衝突とは? わかりやすく解説

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西洋式戦術との衝突

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 03:54 UTC 版)

日本の陣形史」の記事における「西洋式戦術との衝突」の解説

幕末になり、江戸幕府長州征討(1864 - 1866年)に出た際、長州藩側は西洋式戦術対応している後述)。 高杉晋作吉田松陰の『西洋歩兵論』の影響を受け、1863年奇兵隊組織し、幕軍に対し西洋式編成戦術用いている(『軍師日本史人物列伝日本文芸社 2013年 p.8)。奇兵隊は「武士庶民混合部隊」として強調されるが、庶民割合は約30パーセントであり(全国歴史教育研究協議会編 『日本史用語集山川出版社 161998年(1刷1995年) p.172)、決して多い訳ではない大村益次郎洋式兵術原書読んで学んでおり(磯田道史素顔西郷隆盛2018年 p.127)、フランス式軍制用いた(『日本史用語集山川出版社 161998年 p.176.「歩兵操典」も参照)。第二次長州征討時、幕府側は戦国期以来井伊の赤備え交戦した敗れており、彦根兵側の証言として、「変な兵だった。紙屑拾いみたいな格好をして、向こう側からバラバラやって来たと思うと、背後回り込まれていた」とあり(磯田道史素顔西郷隆盛』 p.127)、笛袖姿の密集体形で、時に応じて太鼓打ち鳴らしながら進軍し散兵戦術によって、敵の横や背後から射撃した磯田道史素顔西郷隆盛新潮新書 2018年 p.127)。『西洋歩兵論』にも「短兵隊、あるいは集まり、あるいは散り、(中略)敵の横を突き、敵の後を破る」とあり、戦場でこれを実践したといえる統制取れた柔軟な兵の集散が、伝統的な軍団編成井伊の赤備えには不可解に映った証言ともいえる。ただし勝因銃器兵装差による最大射程の差からくるアウトレンジ戦法による(詳細は「赤備え#井伊の赤備え」を参照)。 なお幕府側も長州征伐以前から西洋式軍制採用しており、文久の改革による幕政改革一環として洋式陸軍設置し幕府陸軍)、歩兵騎兵砲兵から成る三兵戦術導入、これを陸軍奉行統轄した(『詳説日本史図録山川出版社第5版 2011年 p.197)ため、部分的に西洋戦術西洋戦術による戦いと言える長州征伐敗退後には顧問としてフランス人用いているなど(幕府陸軍参照)、この時期フランスの影響がある。

※この「西洋式戦術との衝突」の解説は、「日本の陣形史」の解説の一部です。
「西洋式戦術との衝突」を含む「日本の陣形史」の記事については、「日本の陣形史」の概要を参照ください。

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