西洋式御服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:38 UTC 版)
明治維新により天皇の衣食住も欧米化が進められると、西洋式の御服(天皇の服)が必要となり、明治5年には同年制定の文官大礼服に似た正服が調製された。当時の明治天皇はまだ髷を結っていたため、帽子にはそれを収められるような工夫もなされた。 しかし、お雇い外国人アルベール・シャルル・デュ・ブスケからフランス皇帝は武官大将の制服を着用し、文官制服は着用しない旨の助言があったため、その直後には軍服風の御服(御軍服・御大禮服)が制定されている。この服は、明治13年10月11日太政官布告第55号により陸軍大将の制服に準じた陸軍式御服が定められるまで使用された。明治13年太政官布告は大正2年11月14日皇室令第9号「天皇ノ御服ニ関スル件」により廃止され、改めて陸軍式御服が制定されると共に新たに海軍式御服も定められた。その後は陸海軍の服制改定に伴い同皇室令が改正された(軍服 (大日本帝国陸軍) #天皇の軍服参照)。 太平洋戦争での敗戦により日本軍が解体されると、廃止された陸海軍式御服に代わり新たな常装の詰襟型御服が制定されたが、これも昭和22年5月2日皇室令第12号「皇室令及附属法令廃止ノ件」を以って廃止された。 軍服風の御大禮服を着た明治天皇 昭和20年制御服を着用した昭和天皇
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