製造時期による違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/29 16:34 UTC 版)
「EMD GP40-2形ディーゼル機関車」の記事における「製造時期による違い」の解説
製造時期により、多くのマイナーチェンジが施されている。 フェーズ1: 1972年〜1976年 - ラジエタの吸気口は金網。ショートフードは81インチ(2.06m)。古いタイプのステップ。前部バッテリーボックスがボルト留め。運転室側面のパネルがボルト留め。 フェーズ2a: 1977年初期〜1979年 - ラジエタの吸気口は波形に。ショートフードを88インチ(2.24m)とするFRA(米国鉄道管理連盟)のクリーンキャブ採用。ステップに切り込みを入れる。バッテリーボックスが新型のヒンジ式に。 フェーズ2b: 1979年終盤〜1979年 - 運転室側面のパネルが溶接留めになる。 フェーズ2c: 1979年〜1981年 - EMDのQファン(羽根の形状による型式)採用。マフラーを装着。 フェーズ3: 1984年〜1986年 - 新型の大型排気ダクトを装備。前部バッテリーボックスがヒンジ式になる。側面のフレームが直線になる。
※この「製造時期による違い」の解説は、「EMD GP40-2形ディーゼル機関車」の解説の一部です。
「製造時期による違い」を含む「EMD GP40-2形ディーゼル機関車」の記事については、「EMD GP40-2形ディーゼル機関車」の概要を参照ください。
製造時期による違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:42 UTC 版)
「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「製造時期による違い」の解説
各車の製造時期と、製造時期による差異を記す。編成はすべて左側が大牟田方、右側が福岡(天神)・太宰府方。 1次車(1962年製造) 601-651 - 603-653の2両編成3本と、増結用の604が製造されている。このうち653は新製車ではなく、100形の制御車ク156を600形に改造編入して改番したもので、車体は従来の15m2扉のままであり異彩を放った。 2次車(1963年製造) 605-655 - 607-657の2両編成3本が製造された。 3次車(1964年製造) 608+609-659・610+611-661の3両編成2本が製造された。 4次車(1965年製造) 612-662・613-663の2両編成2本と、制御車の654が製造された。これにより604は654と編成を組み2両固定編成となった。貫通路窓下に手動式の行先表示器を新設したが、列車種別は従来どおり表示板による表示のままであった。 5次車(1966年製造) 614-664 - 616-666の2両編成3本が製造された。 6次車(1967年製造) 617-667 - 620-670の2両編成4本と、621+622-672の3両編成1本が製造された。 7次車(1969年製造) 623-673 - 625-675の2両編成3本と、626+627-677の3両編成1本が製造された。ATS車上子を保護するため前面の車体下にスカートを新設した。 8次車(1971年製造) 628-678 - 630-680の2両編成3本が製造された。川崎車輛の合併により、メーカーが川崎重工業に代わっている。前照灯はシールドビーム2灯に変更された。 9次車(1972年製造) 631-681の2両編成1本が製造された。台車は631がKW-7、681がKW-8に変更されているほか、パンタグラフが下枠交差式に、CPがDH-25からC-1000に変更された。同時に本形式に準じた車体で電動車を2両ユニットとした700形4両編成1本も製造されている。これをもって本形式の製造は打ち切られた。
※この「製造時期による違い」の解説は、「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の解説の一部です。
「製造時期による違い」を含む「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事については、「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から製造時期による違いを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から製造時期による違いを検索
- 製造時期による違いのページへのリンク