製造期による相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:18 UTC 版)
「国鉄C57形蒸気機関車」の記事における「製造期による相違」の解説
1次形 (C57 1 - 138) 1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)の間に製造された基本形である。従台車とテンダー台車がともに一体鋳鋼製とされた。 2次形 (C57 139 - 169) 1940年(昭和15年)から1942年(昭和17年)にかけて製造。第二次世界大戦の開戦により、資材・工程の削減をやむなくされた。組み立て式従台車を使用し、テンダー台車枠が板枠に変更された。基本的には1次形のままで性能に大きな差はない。この形式の別名でもある「貴婦人」とは1次形と2次形を指している。 1次形と2次形の間で炭水車を振り替えたケースもある(C57 120, 121, 135, 145, 148など)。 3次形 (C57 170 - 189) 1946年(昭和21年)製造。戦後の旅客用機関車の不足を補うために製造された。設計期間がなかったことから2次形からの大幅な改設計は見送られた。それでも先輪がD52形用の流用であるディスク形となったり、コンプレッサーからの空気放熱管がランボード下に収められるなどの相違点が見られる。また、砂箱キセ前面が1次形や2次形と比べ傾斜している。 4次形 (C57 190 - 201) 1947年(昭和22年)製造。3次形が2次形の基本をそのまま踏襲したのに対し、本グループでは戦後形C59形の設計思想を取り入れた大幅な改良が施されている。キャブ(運転室)が密閉式となり、デフレクター前部上端は45度に切り取られ、炭水車は船底形となり、ボイラーも板厚を増したものになるなど改良され、C59形によく似た外観となった。また、動力逆転機も装備されたが、燃焼室の採用は見送られている。外観の変化が比較的大きかったことについては、均整美が失われた、とするものと、近代的で力強い、とする両論がある。 後年の改造 九州地区ではC55形同様に除煙板を小倉工場製の切り取り形除煙板(門デフ)に交換したものが有名であるが、この他にも煙室前部角の腐食対策として丸形から角形への改装、重油併撚化したもの、などがある。 特徴的なものとしては11号機の運転台側面への明かり窓増設、77号機の宇佐美式弁装置試用(1954年)などがある。
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