表現の並行関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:49 UTC 版)
「テサロニケの信徒への手紙二」の記事における「表現の並行関係」の解説
第二テサロニケ書には、第一テサロニケ書とほぼ一致する表現や文章がいくつも登場している。第1章1節が一言を除いて同じことがしばしば指摘されているが、La TOB(フランスの共同訳聖書)の解説で例示されているのは、以下のものである。 第一・第二テサロニケ書の比較(口語訳聖書)第一テサロニケ書第二テサロニケ書(1:2-3) あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。 (1:3) 兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。 (2:12) 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。 (1:5) これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。 (3:13) そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。 (1:7) それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 (3:11-13) どうか、わたしたちの父なる神ご自身と、わたしたちの主イエスとが、あなたがたのところへ行く道を、わたしたちに開いて下さるように。どうか、主が、あなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように、増し加えて豊かにして下さるように。そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。 (2:16-17) どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。 (2:9) 兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。 (3:8) 人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。 (5:23) どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように。また、あなたがたの霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように。 (3:16) どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。 (5:28) わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にあるように。 (3:18) どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。 なお、原文が全く同じでも口語訳聖書が訳し分けているせいで、日本語訳だと一致が分かりづらい例が含まれている。たとえば、第二テサロニケ書3:8の後半は第一テサロニケ2:9にほぼ一致する文を見出せる。 こうしたことをどう評価するかは、立場によって異なる。擬似書簡と見る論者は、本物であることを装おうとして、あえて真正書簡から表現や文章を流用して散りばめたと見なしている。他方、真正書簡と見る論者からは、似せるための偽装にしては不徹底さが見られるという指摘があるほか、同じ主題を別の角度から説明すれば重複も不自然ではないと指摘されている。
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