葬送実務と律宗とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 葬送実務と律宗の意味・解説 

葬送実務と律宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)

「やぐら」の記事における「葬送実務と律宗」の解説

平安時代葬送では、沐浴入棺火葬骨拾いなどはその家の者で行うのが通例であった。これらは「穢れ」「喪」に関わることで僧を含めて他人行わない。それが鎌倉時代に入ると「一向上人沙汰」つまり僧に今の葬儀社火葬場役割一任することが増える。この役割を担うのは伝統的寺院例え比叡山延暦寺高野山三井寺仁和寺などの高位の僧ではない。律宗念仏衆などである。今日のようにどの宗派葬祭行い寺に墓を持つということは無かった。京では各宗派葬祭乗り出すのは15世紀頃であり。葬儀盛大になるのもほぼその時期である。 「葬式仏教」も参照 北京律の泉涌寺1242年仁治元年)に四条天皇火葬行い南都律(西大寺系)の東山太子堂はやはり天皇貴族火葬行っている。非人救済有名な西大寺系の京における拠点浄住寺には長老統括僧衆と、奉行統括の斉戒衆の二元的構成になっていた。この「斉戒衆」が火葬などの葬送作業行ったと云われている。当時宗派現在の様に縦割りではなく、特に律宗は「戒律重んじる」ことを特色しながら泉涌寺派四宗兼学現れるように他派僧・寺院とも交流がある。例え法隆寺法相宗であるが、その子院の北室には律僧がいてその下に斉戒衆がいる。醍醐寺仁和寺大覚寺などの真言宗門跡寺院門主などの葬儀を行うのも律宗寺院であったし、先の浄住寺の子院である光明院は東寺学衆墓所となっている。つまり律宗現在の葬儀会社のような役割担っていた。 時衆少なくとも南北朝時代の京では火葬場運営していた。真言宗東寺観智院主・賢宝の1398年応永5年)の葬儀律宗寺院長老執行した火葬場時衆寺院運営するものであったという例がある。しかし時衆は『一遍聖絵』にあるよう少なくとも鎌倉時代には鎌倉入れず鎌倉の上階級帰依受けた例は史料上ない。時衆律宗共通点非人などの下層民との関係である。その共通点浄土宗にもあるが、浄土宗でも下層民に広まるのは専修念仏である。専修念仏には作善、つまり造仏造塔写経などの善事を行うという観念は無い。もっぱら念仏である。浄土宗作善があるのは持戒念仏だがこれは律宗に近い。浄土宗日蓮宗少なくとも、やぐら全盛期には上層階級葬儀への関与を示す史料はない。禅宗足利尊氏葬儀以降南北朝から室町時代には葬儀深く関わり近年までの伝統的葬儀原型作ったが、やぐら全盛の頃は不明である。これらの状況は「分布」で触れた寺院関連律宗系が71%を占めということにも符合する

※この「葬送実務と律宗」の解説は、「やぐら」の解説の一部です。
「葬送実務と律宗」を含む「やぐら」の記事については、「やぐら」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「葬送実務と律宗」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「葬送実務と律宗」の関連用語

葬送実務と律宗のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



葬送実務と律宗のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのやぐら (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS