四宗兼学
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台密は最澄によって創始されたものである。最澄は唐へ渡り天台教学を中心に学んだが、当時の中国では念仏や禅、また戒律、そして密教が流行していた。最澄はそれらの教えと共にその密教を越州の順暁から学び持ち帰り、天台教学に取り入れようとしていた。最澄は智顗が創始した中国の天台教学を基礎としつつも、中国天台宗とは趣が異なる独自の日本天台宗としての教学確立を目指していた。そのため比叡山の延暦寺は四宗兼学の道場と呼ばれている。
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四宗兼学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 19:27 UTC 版)
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
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