萩原商事 → シヅオカヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/12 00:36 UTC 版)
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株式会社シヅオカヤ(英称:Shizuokaya)は、かつて首都圏を中心にスーパーマーケットを展開していた会社。 萩原一族が営業を開始した新宿駅前の販売店が発祥で、その後、スーパーマーケット事業に参入。株式会社を設立し、1号店を三鷹に構えその後多数店舗を出店していった。 ところが1983年度に行った高島屋スーパーの一部の店舗買収を含む過剰な拡大策が裏目に出て、経営赤字に陥る。そこで同じく首都圏で店舗を展開していた忠実屋と業務提携を行い建て直しを図る。しかし、1986年3月6日付けで忠実屋は創業一族であった萩原秀樹(当時社長)を解任して取締役に、萩原の後任として忠実屋の専務であった金森方志を就任させる人事案を発表。萩原はその後、一方的な解任だとして忠実屋に反発、裁判も辞さない構えであったが、両社の弁護士により和解。萩原は同社の取締役・経営から去ることなり、当社は忠実屋の手中に完全に入ることとなった。 その後、忠実屋・いなげや事件を経て経営が傾きかけていた忠実屋は1994年にダイエーに吸収合併される形で消滅。その後は、1991年に吸収した旧:ナイスの店舗の店舗面積の狭さにも対応できる店舗ブランドを作ることが課題とされ、許可を得てダイエーがプライベートブランドとして使用していた「プライスセーバー」を酒類ディスカウントストアとして誕生させる。このブランドは当社だけでなく、ダイエーの関連会社でも使用された。 当社は忠実屋がダイエーに吸収された後、単独勢力となるもダイエーの食品スーパー再編により2000年にセイフーと合併し、消滅した。なお、プライスセーバーについては引き続きダイエーグループで使用されるもダイエーの経営不振により大半の店舗が閉鎖され、最後まで残っていた城山店も2011年1月5日で閉鎖された。
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1946年(昭和21年) - 東京・新宿駅前に青果と食料品を取り扱う販売店「静岡屋」として創業。 1960年(昭和35年)3月3日 - 資本金500万円で萩原商事株式会社を東京都調布市深大寺2632に設立。 不明 - 1号店となる三鷹店(現:グルメシティ三鷹中原店)を開業。 1961年(昭和36年)7月 - セルフサービス方式を採用。 1976年(昭和51年)3月 - ライフランド静岡(後:トポス静岡店、現:ヤマダ電機)を開業。当社初の大型ショッピングセンター。 1984年(昭和59年)3月8日 - 首都圏を中心に展開していた忠実屋(東京都)と業務提携することで合意。忠実屋傘下となる。 1986年(昭和61年)3月6日 - 忠実屋の人事により萩原秀樹社長が取締役に降格。代わって忠実屋の専務であった金森方志が社長に就任。 3月10日 - 前社長の萩原秀樹が、解任理由が一方的且つ不明朗として忠実屋側に公開質問状を提出。 6月 - 前社長の萩原が取締役から退任と同時に萩原一族の運営が終了。 この年、静岡呉服町店(静岡伊勢丹地下)を閉店(直営化)。 1991年(平成3年)6月 - 社名を株式会社シヅオカヤに名称変更。 9月1日 - 忠実屋の系列会社でミニスーパーを運営していた株式会社ナイスと統合。所有していた全15店舗の営業権を譲受。 1999年(平成11年)3月1日 - 株式会社セイフーに全21店舗の営業権を譲渡。当社は建物を管理する不動産会社となる。 2000年(平成12年)6月1日 - 株式会社セイフー、株式会社東海ダイエーと合併。存続会社を株式会社セイフーとする。
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