芸妓時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:34 UTC 版)
その後の定は男と交際を繰り返し続け、見かねた父と兄は定が17歳の時に「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と長男・新太郎の前妻・ムメの妹の夫で女衒の秋葉正義に売ってしまう。秋葉はかつては彫刻家の高村光雲の弟子で、当時は彫り物家の肩書きも持っていた。定は秋葉に夜這いをかけられ、秋葉は4年ほど定のヒモとなっている。 神奈川県横浜市住吉町(現在の横浜市中区住吉町)の芸妓屋「春新美濃(はじみの)」に前借金300円で契約。源氏名「みやこ」として芸者の世界に脚を入れる。1年ほど春新美濃に在籍し、その後も横浜や長野で芸者として働いていたが、三味線が弾けるとはいえ特筆した座敷芸がない定は、座敷に出ると客に性交を強いられることが多いのが嫌であったという。身売りの金は定の小遣いとなった。 1923年(大正12年)の関東大震災の時、定はちょうど秋葉の家に遊びに来ていたが、彼の家は全焼。定は秋葉の家を助けるため、富山県富山市清水町の「平安楼」という芸妓屋に1000円以上の前借金をして店変えをし、前の店に返済した残りの金から300円ほどを秋葉に渡し、秋葉一家の生活の面倒を見るようになった。当時1000円という金額は、立派な家が一軒建つほどの大金であった。 20歳になると定は秋葉に騙されていたことを知り縁を切ろうとするが、「平安楼」の契約書が秋葉との連判であったため、その借金を返すべく1925年(大正14年)7月、長野県飯田市の「三河屋」に移転する。しかし自分で売り込むわけにもいかず、ここでも仕方なく秋葉との連判で契約をしている。ここでは「静香」と名乗り、売れっ子芸者になったものの性病にかかってしまう。父・重吉はどうせ男に懲りて家に戻ってくるだろうと追い出したのだが、「検黴を受けてまで不見転(みずてん。客に体を売る芸者の意)芸者をするなら、いっそのこと」と自ら進んで遊女に身を落とした。この時、母・カツに秋葉との一部始終を暴露し、別の仲介業者を得て移籍手続きをし、秋葉から連判の契約書を返してもらっている。
※この「芸妓時代」の解説は、「阿部定」の解説の一部です。
「芸妓時代」を含む「阿部定」の記事については、「阿部定」の概要を参照ください。
- 芸妓時代のページへのリンク