芸屋台・万歳鉾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 芸屋台・万歳鉾の意味・解説 

芸屋台・万歳鉾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 02:34 UTC 版)

宮津祭」の記事における「芸屋台・万歳鉾」の解説

曳山のことを宮津では屋台呼んでいる。歳鉾は宮津祭山王祭)の曳山のなかで唯一現在も巡幸している芸屋台である。 江戸時代宮津祭山王祭)では神輿巡幸浮太鼓漁師町担当し神楽山王下宮町)が、そしてそれ以外町内が「屋台巡行」を執り行っていた。各町はご神体乗せた山屋台」と子供歌舞伎演じる「芸屋台」との2台を所有しその2台をセットにして山の名付けられていた。寛政元年1789年)の「山王祭行列覚」では、行列順に「鈴鹿山」(本町)・「三輪山」(本町)・「春日山」(魚屋町)・「高砂山」(魚屋町)・「稲荷山」(万町)・「天神山」(万町)・「歳鉾」(職人町)・「岩戸山」(白柏町)・「日吉山」(白柏町)・「紅葉山」(河原町)・「蛭子山」(葛屋町)・「住吉山」(猟師町)・「明神山」(川向町)の記述見られる。実に26基の山・芸屋台繰り出していたわけである。そうした賑やかな曳山祭礼の姿は、その後天保12年1841年)の宮津祭山王祭)を描いた山王祭図絵馬」(宮津市指定文化財)にも残されている。また、絵馬の中の各々の芸屋台子供歌舞伎演じられている描写一部近年宮津市により複製として復元されみやづ歴史の館展示されている。その後、1町に2基ある屋台は1基に統合されてその名を変え、また山屋台は姿を消し屋台だけが「山」名を残したまま伝えられて来た。現在、宮津祭当日白柏会館には2体の人形展示されるが、それが白柏町がかつて巡行させていた日吉山の山屋台のご神体である。 歳鉾は他の屋台「山」呼ばれる中で、唯一「鉾」の名を冠する屋台である。山王祭礼図では他町の山屋台が上部ご神体乗せただけの屋台であるのに対し歳鉾だけがその上に高く聳える鉾を持った姿で描かれている。「相楽山」(白柏町・岩戸山日吉山が統合)、「相生山」(魚屋町春日山高砂山が統合)など、今日も芸屋台宮津町内にその幾つか保存されているが、歳鉾は当初から変わることなくその名が伝わる山王祭礼の貴重な屋台であると言えるまた、現在でも不定期ながら巡行行い子供歌舞伎演じているのは宮本町歳鉾だけである。直近では2008年平成20年)の宮津祭登場し子供歌舞伎仮名手本忠臣蔵 道行旅路花婿」を演じている。

※この「芸屋台・万歳鉾」の解説は、「宮津祭」の解説の一部です。
「芸屋台・万歳鉾」を含む「宮津祭」の記事については、「宮津祭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「芸屋台・万歳鉾」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芸屋台・万歳鉾」の関連用語

1
10% |||||

芸屋台・万歳鉾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芸屋台・万歳鉾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの宮津祭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS