浮太鼓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 02:34 UTC 版)
浮太鼓(うきだいこ)は笛と締太鼓のリズムの中で打ち鳴らされる太鼓で、山王宮日吉神社では漁師町が、和貴宮神社では宮本・万町・本町・魚屋・新浜の5町が輪番で執り行っている。浮太鼓は漁師町で始められ、寛政元年(1789年)の山王祭礼の資料では楽・太鼓・笠鉾と記されている。江戸時代中期から祭の成熟と共に完成され、天保12年(1841年)の祭礼資料には浮太鼓の表記が見える。漁師町では現在でも師匠を頂点とする縦の組織のなかで厳格に技が伝えられ、宮津市はこれを無形文化財に指定した。浮とはうかれるの意である。元々、浮太鼓は笠鉾を立てた下で2人で担いだ太鼓を打ち鳴らしていた。太鼓を屋台に乗せて町内を巡行する現在の形は寛政10年(1798年)より始められたものである。本来の笠鉾の下で打つ浮太鼓は、5月15日朝の山王宮神幸祭の中で再現されている。 浮太鼓は神輿の一連の儀式の中で打ち鳴らされる「打つ」部分と、祭の間に街の各戸で披露される打ちながら「踊る」部分とに大別される。子供から大人に至るまで打つときの手の出し方、回し方、視線の位置などが定められており、熟練と共に太鼓から離れて打つ動作をしながら打たず、まさに囃子に合わせて「踊る」様な仕草となる。特に浮太鼓の一連のながれの結びに行われる師匠格による二人打ちは、左右対称の形で赤い頭巾をかぶり、惚けたように打ち踊る完成された技である。この技をもって「浮太鼓」と呼ばれるのである。 和貴宮神社の浮太鼓は江戸時代後期に漁師町浮太鼓が伝わったものであるが、二人打ちの技などは伝えられなかった。したがって浮太鼓という呼称が使われることはなく単に太鼓と呼ばれていたが、昭和中頃に浮太鼓という名称に変更している。輪番で執り行われる中で各町が独自に特色を出し、現在はリズムや打ち方など本来の浮太鼓とは異なり様々な変化が見られる。神輿宮入り以降も夜中まで打ち鳴らされることもある。賑やかな様は娯楽性が強く、打ち手が祭そのものを楽しんでいる様子がみてとれる。浮太鼓は漁師町から波路や大宮町など他町にも伝わり、各神社の祭礼で披露されている。
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