舌禍
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関連項目
舌禍事件
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2006年9月24日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では、5年連続2桁勝利と6年連続規定投球回到達の記録がかかっていたが、立ち上がりから投球が安定せず、4対1(日本ハムの3点リード)で迎えた5回裏に2死満塁のピンチを迎えると、トレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた(試合は最終的に8対4で敗戦)。この後のレギュラーシーズン中の登板予定がなかったため、シーズン成績9勝6敗、投球回数134回2/3(規定に1回1/3不足)が確定し、記録が共に途切れることとなってしまった。 試合後、金村は降板させられたことについて「外国人の監督は個人の記録なんてどうでもいいんじゃない。絶対に許さない」「(首脳陣の)顔も見たくない」と発言し、ヒルマンの采配を激しく批判。球団は出場選手登録抹消に加え、(翌25日に行われた)チーム練習への参加も禁止。さらに25日には「罰金200万円」と「プレーオフ終了までの出場停止」という厳しい処分を下した。なお、ヒルマン本人は試合後の記者会見で、金村の発言内容については言及せず、「金村の記録は当然知っていた。勝ちをつけてあげたかった」「すべて私が決断したこと。私が責任を取ること」とコメントした。 一方、金村も冷静になって事の重大さに気付き、チームOBの岩本勉に泣きながら電話をかけている。また同日の夜、日本ハム時代の先輩だった片岡篤史・下柳剛(当時、ともに阪神に在籍)から呼び出され、直接「(俺たちは)お前にそんな事を教えたか!目を覚まさせてやる!」と厳しい叱責を受けたが、最後には「こういう経験がないと大きくなれない。いい勉強と思って前向いてやれ。成長するステップと思って頑張れ」と励ましの言葉をかけられた。金村はレギュラーシーズン終了後に選手・首脳陣などに謝罪し、事態は収拾された。ヒルマンも金村に対し「君の9勝がなければ、我々はこの位置にいられなかった」とし、謝罪を受けて「わだかまりはない。来るべき時の準備を進めてほしい」とエールを送り、決して金村を責めることはなかった。 日本シリーズでの復帰が決まり、10月25日の第4戦(札幌ドーム)に先発投手として登板、マウンドに向かう時にスタンドから歓声が起きた。そしてマウンドに上がると、1塁側、本塁側、3塁側、そして左翼席と5度頭を下げた。この試合では5回を5安打、2奪三振、2四球、82球で無失点に抑え勝ち投手となった。試合後のヒーローインタビューでは「全国のファンの皆様、この場をお借りして改めて謝罪したいと思います、本当にどうもすいませんでした」と深々と頭を下げ、インタビュー終了後にヒルマンと抱き合った。そして、チームも第5戦に勝利して44年ぶり日本一に貢献した。 しかし、翌年はチームはリーグ連覇したが、金村は夏場の不調でわずか5勝にとどまり日本シリーズでも登板できず、ヒルマンの監督辞任と同時に阪神へ放出された。
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