法務大臣就任と舌禍事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/28 22:58 UTC 版)
「ヘルタ・ドイブラー=グメリン」の記事における「法務大臣就任と舌禍事件」の解説
1998年の連邦議会選挙の結果、SPDが与党となりゲアハルト・シュレーダー政権が発足すると、ドイブラー=グメリンは法務大臣に任命される。大臣在任中に民法の債権法が改正され、2002年1月1日に施行された。この法律の改定は実に102年ぶりのことだった。また同性愛者同士のパートナーシップの権利保護にも尽力。 2002年の連邦議会選挙の選挙戦の最中の9月18日、「グローバリゼーションと労働」と題した選挙演説で、記者がその場にいることに気付かないまま、「イラク攻撃を狙うブッシュ米大統領は、外敵との戦いを煽って内政の問題から国民の目を逸らせたマーガレット・サッチャー、さらにはアドルフ・ヒトラーに似ている」と発言。集会参加者に不同意の意を示されると、これは個人の比較ではなく政策の類似を指摘しただけだと弁明した。このやりとりは翌日の新聞に載り、コンドリーザ・ライス大統領補佐官や駐独アメリカ大使など、アメリカ政府の強い反発を招いた。SPDはイラク戦争に対する明確な反対意志表明が功を奏したのか連邦議会選挙に辛勝したが、ドイブラー=グメリンはアメリカとの不和を考慮して第二次シュレーダー内閣には留任しないと表明し、慰留されることなく10月22日に離任した。 2002年‐2005年に連邦議会の消費者保護・食品・農業委員会委員長。2005年から同じく人権・人道支援委員会委員長を務める。2009年の総選挙に出馬せず、政界を引退した。
※この「法務大臣就任と舌禍事件」の解説は、「ヘルタ・ドイブラー=グメリン」の解説の一部です。
「法務大臣就任と舌禍事件」を含む「ヘルタ・ドイブラー=グメリン」の記事については、「ヘルタ・ドイブラー=グメリン」の概要を参照ください。
- 法務大臣就任と舌禍事件のページへのリンク