法務官軍の敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:11 UTC 版)
ローマ カプア ノーラ ノチェーラ メタポントゥム トゥリ ウェスウィウス山 ノーラ ヌケリア ウェスウィウス山 蜂起と襲撃が起こったカンパニアはローマの資産家や有力者の休養地であり、ここには多数の別邸が所在しており、反乱はすぐにローマ政府の注目を受けることとなった。当初、この反乱は武装蜂起ではなく、大規模な治安の悪化と見なされていた。 しかしながら、この年の後半にはローマは反乱を鎮圧すべく法務官の率いる討伐軍を派遣した。法務官ガイウス・クラウディウス・グラベルは3,000人の兵士を集めたが、これは軍団兵ではなく「大急ぎかつ適当に徴集された」民兵であり、ローマ人たちはこれは戦争ではなく盗賊の襲撃の類と見なしていた。グラベルの兵はウェスウィウス山の奴隷軍を包囲し、山へと通じる唯一の道を閉鎖した。奴隷軍を閉じ込められると考えたグラベルは、飢えに苦しんだ奴隷たちが降伏するのを待った。 奴隷たちは軍事訓練を受けてはいなかったが、スパルタクスの兵たちは手に入る資材を活用する創意工夫を示し、訓練されたローマ軍に対して知恵を絞った奇策を用いて対した。グラベルの包囲作戦に対してスパルタクスの部下たちはウェスウィウス山の斜面に生育する蔦や木々を用いて縄や梯子をつくり、これらの道具を用いてグラベル軍の背後の崖を降りた。彼らはウェスウィウスのふもとを回って、グラベル軍の背後を突き、これを殲滅した。 法務官プブリウス・ウァリニウス(英語版)率いる第二の討伐軍がスパルタクスに対して差し向けられた。何らかの理由により、ウァリニウスは軍を部下のフーリウスとコッシニウスの部隊に分けていた。プルタルコスはフーリウスの兵を3,000としているが、それ以外の部隊の兵力、討伐軍が正規の軍団兵なのか民兵なのは明らかではない。今度の討伐軍も奴隷軍によって撃破され、コッシニウスは戦死し、ウァリニウスは捕らわれかけており、ローマ軍の装備は奴隷軍に奪われた。 これらの勝利により、この地方の牧人奴隷(牛飼いや羊飼い)をはじめとするより多くの奴隷たちが参集し、奴隷軍は約70,000人まで膨れ上がった。奴隷軍は紀元前73年から72年にかけての冬を新兵たちの訓練と武装化に費やし、ノーラ、ノチェーラ、トゥリ(英語版)そしてメタポントゥム(英語版)にまで襲撃範囲を広めた。 奴隷側も全くの無傷ではなかった。反乱初期のいずれかの時点で指導者の一人のオエノマウスが恐らくは戦死しており、彼の名は諸史料では言及されなくなる。
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