法務官僚として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:28 UTC 版)
明治9年(1876年)1月に帰朝。内務省御用掛となり、のち大蔵省に転ずる。長州藩出身の品川・青木の仲介により、木戸孝允・山縣有朋・伊藤博文ら長州閥の知遇を得て、かつて政府に敵対した米沢出身でありながら長州系の官僚として信頼されていくことになる。 ドイツ法学の専門家として大蔵省翻訳課長、少書記官、法制局専務などを歴任。明治15年(1882年)には、憲法調査のため、伊藤の憲法調査団に随伴。病で帰国した後は、内閣制度導入に関わる法制度整備に貢献した。
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