反乱初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:10 UTC 版)
プロスクロプティオに自分の名前を見つけたセクストゥスは、かつて父親ポンペイウスが統治していた領土を再獲得しローマと戦い抜くことを決意し、ひとまず自身の拠点をシチリア島に置いた。そして、ティンダエやミュラエ、そしてシチリア属州の州都メッシーナなどといったシチリアの諸都市を征服した。シラクサなどといった他のシチリア諸都市はセクストゥスの反乱に加担し、彼の軍勢に加勢した。セクストゥス率いる反乱軍は、カエサルの死後急速に勢力を増し、並外れたローマ陸軍とローマ海軍の大艦隊を擁するまでになった。多くの奴隷や、セクストゥスの父ポンペイウスの戦友らが彼の元に集結し、独裁化されつつあるローマ共和政を三頭政治から守るために戦った。そしてパトリキのヴィラで奉仕していた数多くの奴隷たちも脱走してやって来た。それゆえにローマにおける重要な労働源である多くの奴隷が減少したことで、ローマ人は苦しみ、ウェスタの処女が奴隷たちの脱走が収まることを神に祈り出す始末であった。 セクストゥスはシチリア人の海兵隊を動員し、多くの有能な海軍司令官に艦隊を指揮させることでイタリアを海上封鎖して、北アフリカ・エジプトからローマ本土に向かおうとする船を殲滅させることに成功した。これにより、ローマに輸入される穀物などの供給が大幅に減少し、イタリア半島と他の地域との交易も途絶えた。この処置によりイタリア半島のローマ市民らは不満が高まり、ついに怒りが爆発、イタリアにて暴動が発生した。この状況を鑑みた三頭政治は、イタリア半島の海上封鎖を解く代わりに、セクストゥスをサルディーニャ島・コルシカ島・シチリア島の正式な統治者として認めることを取り決めた。セクストゥスはこの取り決めを受け入れ、イタリアの海上封鎖をやめ、ローマに穀物を送り届けた。そして逃亡中の奴隷の受け入れも中止した。この取り決めは両者が交渉した場所の地名に因んでミセヌム条約と呼ばれている。
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