尾宮 貫一(おみや かんいち)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 03:58 UTC 版)
「実録!関東昭和軍」の記事における「尾宮 貫一(おみや かんいち)」の解説
50歳。野球部監督。昭和49年度関東昭和高校卒業後、関東産業大、社会人野球の旭日ガスに入社するも伸び悩み、故障もあり、昭和56年に関昭野球部コーチに就任。平成5年に監督に昇格し、 選手にヤキを入れながら厳しく鍛える。短気でミスをした選手をすぐレギュラー落ちを意味する「クビ」にしたり、こすっからい性格だがここぞの場面では芯の通った所も見せる。高校、大学、社会人と現役時代は一度も全国大会に出場出来ず、未だに燃え尽きていない情熱を選手達に託している。妻と5人の子供に逃げられた過去があり、今も未練タラタラで甲子園での勝利監督インタビューで帰ってきてほしいと懇願したほど。最終回では春季東京大会優勝直後のインタビューで舌禍事件を起こし、渡邉にはほとぼりが冷めるまで誤魔化す事を勧められたが、選手に示しをつけるため自ら監督を辞任してコーチに降格、しかしヤキを入れることは止めていない。現役時は遊撃手で右投右打。
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