自主制作作品の歴史とは? わかりやすく解説

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自主制作作品の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:57 UTC 版)

自主映画」の記事における「自主制作作品の歴史」の解説

映画発明されたばかり19世紀末から20世紀初頭にかけては、興業としての映画未成熟であり、自主映画商業映画劇場映画)の境界存在していなかったといえる初期の映画は主に記録報道のために用いられていたが、この時代から個人カメラ所有しフィルム購入できる富裕層中に自分周囲の生活や各種行事、また町村風景等を撮影する者が存在した。これが自主映画始まりといえる。現在、映像アーカイブとして保存されている明治・大正期映像中には当時アマチュア映画愛好家撮影したフィルムも多い。当初は主に16ミリフィルム使われていたが、大正末期に9.5ミリ登場し昭和7年1932年)にはさらに高画質低価格8ミリフィルム登場すると、個人による映画撮影手軽になるとともに16ミリ35ミリフィルム撮影される劇映画ニュース映画のような商業映画との境界明確になり、「小型映画」「家庭映画」と呼ばれる自主制作映画概念成立していった。 第二次大戦後、8ミリカメラやフィルム安価かつ高性能になると、アマチュアが街や野山出てロケをしたり、地域での日常生活長期渡って撮影したりすることが可能になるその結果野生の動植物生態や、貴重な伝統行事伝統産業などの記録身体障害者日常生活や、被爆者など戦争体験者の証言記録など社会問題提起など、商業映画では制作困難な映画作品アマチュアの手作られるうになる1960年代には大林宣彦高林陽一作品発表している。 1970年代に入ると、1965年に提供開始された向汎用の8mm映画システムシングル8スーパー8が、一般的な家庭でもホームムービー用に使用される様になり、そのカメラなどの機材使用して学生世代による若い感性自主映画次々と発表されていった。ここには、情報誌「ぴあ」や「ぴあフィルムフェスティバル」、文芸坐や上板東映などの名画座による、自主映画への制作・公開への支援媒介として作用した事も、自主映画拡大する要因であった近年フィルム比べよ手軽安価なデジタルビデオ普及デジタル映像編集技術発達から個人によるデジタル制作増えてきており、劇場スクリーンでの鑑賞にも十分耐えられる高画質ビデオカメラを、学生アマチュア使いこなし映像を創り出す時代になっている。 だが、現在の日本では学術的に映画映像技術学べ体系それほど整備されておらず、大学機関でも学問として映画専門的に学べる所は他の先進国比べ格段に少なく海外留学する映画青年も多い。その陰には国の文化政策において映画産業それほど重要視されていないという事挙げられる

※この「自主制作作品の歴史」の解説は、「自主映画」の解説の一部です。
「自主制作作品の歴史」を含む「自主映画」の記事については、「自主映画」の概要を参照ください。

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