膠着状態: ダイアデム作戦計画
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「アンツィオの戦い」の記事における「膠着状態: ダイアデム作戦計画」の解説
「ダイアデム作戦戦闘序列」を参照 両軍は春までに決着がつくことはないと考え、戦力を整えつつ積極的な哨戒と砲撃による防御体制に入った。その春を予期してケッセルリンクは、海岸堡戦線の後方に、ローマの南、アルバーノからヴァルモントーネを通過しイタリア半島を横断してアドリア海沿岸のペスカーラに至る新しい防衛ライン「カエサル・C・ライン」の構築と、第10軍に必要な時に後退することを命じた。一方、連合国軍イタリア方面総司令官ハロルド・アレクサンダーは5月にグスタフ・ラインに対する大規模攻勢「ダイアデム作戦」を計画しており、2月22日にアメリカ第3歩兵師団長から第6軍団長に昇進したトラスコットは参謀とともにそれに沿って決定的な攻撃の計画を練った。計画の目的は、大規模な攻勢をかけることで、ドイツ軍が連合軍を駆逐しようといういかなる見込みも打ち砕き、ドイツ第10軍をアンツィオから進出した第6軍団とグスタフ・ラインを突破した連合軍で包囲・撃滅することだった。 3月にアメリカ軍第34歩兵師団が、5月初旬に同第36歩兵師団がアンツィオに到着し、イギリス軍第56歩兵師団は同第5歩兵師団と交替した。5月下旬までにドイツ軍5個師団に対し、海岸堡の連合国軍はアメリカ軍5個師団とイギリス軍2個師団のおよそ15万人になった。ドイツ軍師団は守備に専念していたが、士官と下士官の不足という問題を抱えており、5月下旬の攻勢のころには予備戦力も(すべてグスタフ・ラインの増援に送られていたため)不足していた。 「ダイアデム作戦」におけるアレクサンダーの全体計画では、第6軍団が内陸に侵攻しルート6を分断することとされていたが、クラークはトラスコットに別の案を講じ、命令から48時間以内に切り替えることが出来るように依頼した。トラスコットによって用意された4つのシナリオの中には「バッファロー作戦」(Operation Buffalo、水牛作戦)と名づけられた、チステルナを通過し、丘陵のギャップに侵入、ヴァルモントーネでルート6を分断するというものと、他に「タートル作戦」(Operation Turtle、カメ作戦)では、アルバーノ丘陵左への主攻勢がカンポレオーネとアルバーノを攻略するのを見越し、一気にローマを攻略するというものがあった。5月5日、アレクサンダーは「バッファロー」を選び、クラークにその実行を命じた。 しかし、クラークはのちに自著で明らかにしているように、アメリカ第6軍団が直接ローマに進撃しなければならないと決意していた。「我々は、ただローマ解放の名誉を得たいというのではなく、それを受けるに値すると思っていた。……我々は南からローマを制圧する最初の部隊になるだけでなく、本国の人々にその仕事をやってのけたのは第5軍であることを見せるつもりだったし、そのために支払うことになる代償についても分かっていた。」彼はアレクサンダーに、第6軍にはドイツ第10軍を罠にかけるだけの戦力は無いと主張し、アレクサンダーは(彼の要求に答える代わりに)もし「バッファロー」がつまづいた場合には、ローマ進撃の可能性はまだ残っていると含みを持たせた。5月6日、クラークはトラスコットに対し、「……ローマ占領が最重要の目的であり、「バッファロー」だけでなく「タートル」も実行出来るよう準備しておくように」と伝えた。 トラスコットの「バッファロー作戦」は極めて綿密に計画されており、 アメリカ軍第45歩兵師団、第1機甲師団および第3歩兵師団が主攻勢を担当し、ドイツ軍第362および第715歩兵師団を攻撃、それぞれカンポレオーネ、ヴェッレトリ、およびチステルナ方面へ進撃する。 その間、左翼のイギリス軍第5師団と第1師団は海岸線に沿って進撃し、ヴィア・アンツィアーテ北のドイツ軍第4降下猟兵師団、第65歩兵師団および第3装甲擲弾兵師団を釘付けにする。 連合国軍最右翼の第1特殊任務部隊はアメリカ軍攻勢の側面を守備する。 とされていた。
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