職務への取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:32 UTC 版)
「ハリー・ボッシュ・シリーズ」の記事における「職務への取り組み」の解説
ボッシュ曰く、「殺人課では、自分が担当する事件に関して、ひとつのルールがある。 "誰もが重要か、誰も重要でないか "だ。」そのルールについて説明を求められたボッシュはこう答えている。「言ったとおりだ。 みんなを巻き込むか、誰も巻き込まないか。それだけだ。売春婦だろうが、市長の奥さんだろうが、ケツを叩いて事件を起こすということだ。 それが私のルールだ。」 「私には信仰があり、使命がある。それを(警官の制服の色にちなんで)青い宗教と呼んでもいい。あの骨が地上に出てきたのには理由がある。私が見つけるために、私が何かをするために、地面から出てきたのだ。それが私を支え、前進させるのだ。」 殺人事件の被害者、特に女性や子どもなど弱い立場であった者に強く心を寄せ、全力で犯人探しに努める。つねに死者の代弁をするというのが彼の誓いである。犯人を挙げて罪を償わせるためには、ときに一線を越えたのではないかと思わせる場面がある。それが取り沙汰された裁判の対戦相手であった弁護士ハニー・チャンドラーから言われたニーチェの言葉「怪物と戦う者はだれであれ、その過程において、自分が怪物とならぬよう気をつけなくてはならぬ。そして、おまえが深淵を覗きこむとき、その深淵もまた逆にこちらを見つめかえしているのだ」を書き留めて自宅に置いており、警察官が権力を持つことについて「権力には使うべき場所と時がある」とし、必要以上に関係者を手荒に扱うのはいじめっ子のやることだと考えている。そのため、警部補、警察副長官、あるいはFBIなど、常に権力と対立している(特にアーヴィングとは、アーヴィングが『贖罪の街』の最後で引退を余儀なくされて現在の市議会議員になるまで、ボッシュの宿敵として繰り返し描かれている)。彼の反抗的な姿勢は、通常、自分のキャリアをほとんど顧みないことと相まって、彼の強い善悪の感覚に起因するものである。『死角』の最後でコナリーは、この特徴は一言で言えば「容赦ない」(relentless)と書いている。また、『暗く聖なる夜』でもこの言葉を使ってジャズについて述べており、彼自身の作品や性格への自己言及を暗に示している。 ボッシュが「偶然を信じない」という記述はたびたび現れる。同時に起きる可能性が極めて低い事象の間には何らかの因果関係を疑うのである。『天使と罪の街』でも一人称形式の記述の中に書かれている。 捜査においては事実や証拠を重視し、事件の捜査報告書を何度も読み返して見落としや気づきが無いかどうかを確かめるシーンがたびたび描かれている。そのために報告書を自宅に持ち帰って深夜まで読み込むこともしばしばある。そしてそれらの事実や証拠に基づき、「直感や勘にしたがうところが多分にある」ともしている。 殉職した警察官の埋葬に立ち会うと、そこでの弔銃で使われた薬莢を持ち帰り、自宅の瓶に貯めている。
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