職務と管轄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:51 UTC 版)
町奉行は「御府内」と呼ばれた江戸の区域のうち町屋敷のある地域を管轄し、町触という法令を出すとともに行政権や裁判権をもつ職であった。 まず御府内については当初区域が曖昧だったため、各所からしばしば幕府に対して問い合わせが行われた。そのため幕府は1818年(文政元年)に「朱引絵図」を作成してその範囲を示した。これにより江戸の範囲が地図上に赤い線(朱引)で正式に定められたが、同時に町奉行の管轄する範囲も黒い線(墨引)で示された。「朱引絵図」によると御府内の範囲は、東は亀戸・小名木、西は角筈・代々木、南は南品川、北は上尾久の辺りまでとされた。これは後の東京15区、即ち市制施行時の東京市の範囲とほぼ一致する。 さらに御府内のうち町奉行が管轄したのは町屋敷のある地域のみで、大名や旗本の支配する武家屋敷や寺社奉行が支配する寺社領は管轄外であった。明治初期の調査では江戸は6割が武家地、2割が寺社地で、町奉行が管轄した町地は残りの2割だった。 町奉行だけでなく大名や旗本、寺社奉行、代官などと両方の支配を受ける地域を町並地という。1713年(正徳3年)、江戸近郊の代官支配の地域のうち町と名の付く地域が町並地となり、年貢の徴収は代官、犯罪人の身柄の確保は町奉行の管轄となった。また1746年(延享3年)には寺社門前の取り締まりを寺社奉行から町奉行に移管した。
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