聖書上の根拠
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「ビザンティン・ハーモニー」の記事における「聖書上の根拠」の解説
ビザンティン・ハーモニーの基礎と根拠は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神のものに返すべし」としたイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の言葉にあるとされる(マタイ22:21、マルコ12:17、ルカ20:25)。このハリストス(キリスト)の言葉には、正教会において、この世のものをこの世のものとして受け入れるべきこと、神のものは神のものとして返しクリスチャンが仕えるべきはただ神のみであることが示されているとされる。
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聖書上の根拠
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キリスト教神秘主義の伝統は、キリスト教史そのものと同じくらい古い。少なくとも新約聖書の3つの文書には、後のキリスト教神秘家の思想を思い起こさせる主題が幾つも見られる。 まず、「ガラテアの信徒への手紙 2:19 」には、次のようにある。 わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。――新共同訳。以下同。 キリスト教神秘主義にとって、次に重要な一節は「ヨハネの手紙一 3:2」 である。 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 そして3番目は、(とりわけ東方キリスト教神秘主義にとって重要なのだが)、「ペトロの手紙二 1:4」 である。 この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。 また、キリスト教神秘主義においては、以下の2点が主要な主題である。 (キリストに倣った)人間と神との「霊的な合一」 「鏡におぼろに映った」ようではなく、はっきりとありのままに知覚・経験される「神の完全な姿」 これらの点について、「コリントの信徒への手紙一 13:12 」には、以下のようにある。 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 他にも神秘体験の記述が見られる。例えば、「コリントの信徒への手紙二 12:2」 には、パウロが、ある人が、おそらく体を離れて「第三の天」まで引き挙げられた例を紹介している。 わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天まで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存知です。わたしはそのような人を知っています。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。 このような神秘体験は、おそらくイエスの山上の変容(マルコ 9:2) の際にも起こった。共観福音書に確証されているように、この時、イエスは3人の使徒、すなわちペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを率いて、高い山に登り、そこで彼は変容したのである。顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。そこへ、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合った。そうして、光り輝く雲が彼らを覆い、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
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聖書上の根拠
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貞潔について、旧約聖書ではエレミヤが独身を守り、女性ではユディトが再婚を放棄した。新約聖書では洗礼者ヨハネが童貞を守り、アンナ(ルカによる福音書2:36-37)が再婚せずに神に仕えた。マタイによる福音書19章では「天の国のために結婚しない者もいる」と言っている。コリントの信徒への手紙一7章7-9節でパウロは「人によって生き方が違う」としながらも自分のように独身でいることを勧めている。 清貧についてはマタイによる福音書19章(マルコによる福音書10:21、ルカによる福音書18:22も同じ)で、イエスは「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい」といっている。コリントの信徒への手紙二8章には「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた」といい、それに倣うように勧めている。 従順についてはマタイによる福音書23章(マルコによる福音書10:43-44も同じ)に「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい」といい、またフィリピの信徒への手紙2:6-8ではキリスト自身が僕の身分となり、へりくだって、死に至るまで従順であったと記している。
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