美学:形而上学的価値判断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:07 UTC 版)
「オブジェクティビズム」の記事における「美学:形而上学的価値判断」の解説
ロマン主義が芸術にもたらしたのは、“価値の卓越性(primacy of values)”だった。〔中略〕価値は感情の源である。ロマン主義の作品やその鑑賞者の反応には、強烈な感情が大量に投影されていた。色彩、イマジネーション、オリジナリティ、興奮といった、“価値指向の人生観(value-oriented view of life)”のあらゆる諸結果が大量に投影されていた。 アイン・ランド オブジェクティビズムにおける芸術論は、その認識論から、「精神認識論(psycho-epistemology)」によって導かれる。オブジェクティビズムによれば、芸術は、人間が概念を知覚的に把握することを可能にするものである。芸術は、「芸術家による形而上学的価値判断に基づく、現実の選択的再創造」(selective re-creation of reality according to an artist's metaphysical value-judgments)と定義される。ここで「芸術家による形而上学的価値判断」とは、自然および人間の本質に関して、芸術家が究極的に真かつ重要と信じることを意味する。この点で、芸術は抽象を知覚可能な形式で具象的に提示する手段と見なされている。 この見方によれば、人間が芸術を必要とする根本的理由は、認識における経済性にある。概念は、多数の具体物を代替することにより、個々の具体物について明示的に思考するよりはるかに多くの具体物について暗黙的に(あるいは間接的に)思考することを可能にしている点で、それ自体がすでに頭脳におけるショートカットである。しかし人間は、(オブジェクティビズムによれば)生きる指針を得るために包括的な概念的枠組みを必要としているにもかかわらず、頭脳に無限に多くの概念を保持することができない。芸術は、形而上学的価値判断を含む広範な抽象について伝え考えるための、知覚で容易に把握可能な媒介物となることによって、このジレンマからの脱出を助ける。オブジェクティビズムにおいては、芸術は道徳的あるいは倫理的な理想を効果的に伝える手段と見なされる。ただし、芸術を布教手段と見なすわけではない。芸術は道徳的な価値や理想を必然的に含むが、その目的は教育ではなく提示に限られるとされる。また芸術は、通常は体系的で明示的な哲学の産物ではないし、そうである必要もないとされる。芸術は通常、芸術家の(偏見にとらわれた非常に感情的な)「生に対する感覚(sense of life)」から生まれるものであるとされる。 ランドは、ロマン主義を文芸における最高の潮流と見なした。ロマン主義は「人間には意志能力があるという原理」の認識に立脚しているとし、この原理の認識がなければ、文芸はドラマとしての力を持ち得ないと信じた。「ロマン主義」という言葉は主情主義(emotionalism)と混同されることが多いが、オブジェクティビズムにおいて主情主義は完全否定される。歴史的にロマン主義の芸術家の多くは、主観主義(subjectivism)の哲学を信奉していた。オブジェクティビズムを支持する芸術家のほとんどは、ランドが自らの創作アプローチに名付けた「ロマン主義的写実主義(romantic realism)」を支持している。
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