絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 433 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1908.04.23(明治41.04.23) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 490 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1900.04.07(明治33.04.07) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 494 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1907.05.27(明治40.05.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 499 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1908.04.23(明治41.04.23) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 1068 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1904.02.18(明治37.02.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 1115 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1910.08.29(明治43.08.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗時代の作品。 |
絹本著色楊柳観音像
主名称: | 絹本著色楊柳観音像 |
指定番号: | 1670 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1971.06.22(昭和46.06.22) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 明徳二年十二月良賢の寄進銘がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 高麗 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本図は、その銘文によると、寄進者良賢の先師某の蔵品として鏡神社の一坊に伝わったが、明徳二年(一三九一)鏡神社の両所尊廟(祭神・神功皇后・藤原広嗣)や先師、良賢二世のために寄進されたものであることが知られ、その由緒を明らかにする点、諸本にはない価値を有している。 画面の大きさもさることながら、その彩技は入念緻密で伝世の楊柳観音像中良本の一つにあげられ、制作時も高麗末葉(十四世紀)に置かれる。 なお、鎌倉時代には鏡社人が高麗と往来のあったことが正史に見えており、本図のこの地に伝わることもゆえなきことではなく、日韓交渉史の上でも看過しがたい資料である。 |
絹本著色楊柳観音像〈徐九方筆/至治三年六月の年記がある〉
主名称: | 絹本著色楊柳観音像〈徐九方筆/至治三年六月の年記がある〉 |
指定番号: | 1848 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1984.06.06(昭和59.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 元 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 高麗仏画の一類型をなす、いわゆる楊柳観音像のひとつで、善哉童子が善知識を歴参した中の、補陀落山観音を表す。半跏の像容をはじめ、礼拝する善哉童子や、岩と水面に竹などを配した構成においても、図の形式はおおむね通例のとおりである。観音の肉身を金泥塗とするのは類品中少数例に属し、荘厳さを示すが、その他にも著衣や岩など画面全体に金泥を多用し、また種々の文様を細緻に描写して豊かな装飾性を発揮するのは、高麗仏画の特徴をよく表すものである。 本図は、類品中大徳寺の一本に次ぐ大きさを有している。また制作年、及び徐九方という画家名、六精という勧進僧名が明記されるのは他になく、基準作として貴重である。高麗仏画で画家名を記すものは本図の他に三点あげられるが、その冠称として「画工」(知恩院「観経変相図」)・「画手」(親王院「弥勒下生経変相図」)が見られ、また画家名なした単に「工」と称した例もある(上杉神社「阿弥陀三尊像」)。それらに対し、本図の画家には「内班従事」という異種の冠称が付されている。それについては、鏡神社の「楊柳観音像」の銘文を書写した記録(伊能忠敬『測量日記』)に、「画師内班従事金祐文」とあり、その後に「翰画直待詔」や「員外中郎」という官職の数人を列ねていることから、「内班従事」を称するのは宮廷の画家かと思われる。 高野山金剛三昧院伝来。 |
このページでは「国指定文化財等データベース」から絹本著色楊柳観音像を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から絹本著色楊柳観音像を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から絹本著色楊柳観音像を検索
Weblioに収録されているすべての辞書から絹本著色楊柳観音像を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から絹本著色楊柳観音像を検索
- 絹本著色楊柳観音像のページへのリンク