結核の進行・血痰とは? わかりやすく解説

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結核の進行・血痰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 08:24 UTC 版)

冬の日 (小説)」の記事における「結核の進行・血痰」の解説

1924年大正13年)に東京帝国大学文学部入学し、翌1925年大正14年1月同人誌青空』を創刊し梶井基次郎は、三高時代のような狂的な泥酔放蕩治まったものの、神経衰弱のような気分になることがあり、銀座高級レストランカフェー・ライオン」でビフテキなどのご馳走食べ贅沢な一流品を買って満たされないものがあった。 1926年大正15年1月あたりから持病結核がまた悪化し、春頃から再び泥酔して暴れ行状出てくるようになった。夏の猛暑の中、『青空』の広告取りなどの無理がたたって病状進み9月下旬頃から血痰長く続くようになった。基次郎は、麻布医者から「右肺尖に水泡音(ラッセル)、左右肺尖病竈あり」と診断されていた。 その後体調悪化し11月に入ると6週間血痰続いた。ちょうどその頃病気だった飯島正見舞い行った際、たまたまそこに居合わせた医者自分診てもらった次郎は、麻布医者同様の診断受けて転地療養食事療法勧められていたが、年末には、東京帝国大学卒業論文を出さなければならなかった。 病気身体にばかりではなくこの頃の私の思想を実に頽廃的にしてゐます、私があたりまへの人ならその夏頃から既にどこへなりと行つて療養してゐる筈なのです身体用ふことの極端に少い生活をしてゐる私などにとつてはそれは致命的な苦痛ではないのです、私の不養生もつまりは遊民的な生活の所産です――そんな結果私の病気と生活とは親しくなりともにお互ひを深めて来たやうです。 — 梶井基次郎近藤直人宛て書簡」(昭和2年1月2日付) 基次郎当時住んでいた東京市麻布区飯倉片町32番地(現・港区麻布台3丁目4番21号)の下宿の隣部屋10月から三好達治同居しはじめていた。ある晩基次郎は「葡萄酒見せてやらうか…美しいだらう…」と襖越し三好に声をかけ、ガラスコップ電灯にかざし透かして見せた。その美し赤々としたものは、基次郎血痰であった三好は基次郎病状がかなり悪いこと気づいていた。そのため基次郎に、大学卒業あきらめ転地療養実行し文筆生計立てることを強く勧めるが、学費苦労して捻出している親のためにも卒業したかった基次郎は、まだ身体なんとかなる考え卒論提出来年に延ばすつもりだった。しかし留年するなら学費自分で稼ぐように母から通告されていた。 基次郎は、翻訳仕事少女小説を書くか、あるいは英語教師になるかして自活しようか考えるが、病状のことを思うと不安と憂鬱な気分苛まれた。この頃に『冬の日』の執筆一度取りかかっていたが一旦中断したままとなった三好説得聞き入れて転地療養決めた次郎は、大晦日伊豆湯ヶ島に向け、〈亡命といふやうな感じ〉の気持東京を発つことになったその後詳細梶井基次郎#伊豆湯ヶ島へ――『青空』廃刊参照)。 湯ヶ島旅館孤独な正月迎え元日夜にひどく体調悪くした基次郎は、〈苦しかつたときには子供のやうにさみしかつた〉思い痛感し5日から改め本格的に〈悲しい小説〉の『冬の日』の執筆取り組み始めた

※この「結核の進行・血痰」の解説は、「冬の日 (小説)」の解説の一部です。
「結核の進行・血痰」を含む「冬の日 (小説)」の記事については、「冬の日 (小説)」の概要を参照ください。

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